★俺たち、タワー・アタッカー!!★

成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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日本の変わり目の年の 3.26

 たいへんな年の3.26を迎えました。

東北・関東を襲った大地震と津波の被害、カタストロフを心底から心配しなければならない原発のありさまのまさにその只中にあります。

このブログはもともとが『1978・3・26 NARITA』という本の紹介を意図して始められたものでした。
その編集を担当してくれたO君が、たまたま仙台に居合わせて、まだそこにとどまり奮闘しているようです。
彼からの連絡を受けて、出来ることをやるべしと思い定め、本当にささやかなことしかできぬまま、先週はあれこれやっておりました。

果たせなかったことのひとつに、ガソリンを仙台に届ける課題がありました。
山形ルートで、専用のタンクにつめて、彼と、彼よりきっとずっと年かさの、共に3.26を闘ったお仲間のところへ送ろうとしたのです。
結局、それは果たせなかったのですが、その間に、わたしの連絡のつく範囲で、電話で連絡を取り合って話しているうちに、さまざま思うことがありました。

大阪のK。彼は71年の代執行に備えるたたかいの最中に、落盤事故に遭い、下半身の自由を失いました。ひょっとして、わたしは彼と出会わなければ、「管制塔戦士」とやらにはならなかったかもしれません。
いまや、障害者が楽しむカヌーのプロ(?)となり、かわらずそのスジの血を燃やしているはずです。
もちろん、とうに党派から離れて、自らの道を進んでいるのであります。

そのKに久方ぶりに電話をして、こんな会話をしたのでした。
「送ってやりたい米が東京にはないんだよ(先週のこと)。」
「大阪もそんな感じ。とにかくうちの店(アウトドア用品店)でも、どんどんブツがなくなってるわ。東京から出張で来たという人が、ガスのカートリッジをごっそり買っていくからな」
「アウトドア支援隊は出してるんだろ?」
「とっくに出てるわ。物資も北陸から山形に出して、そこから被災地に送ろうとしてるわ。仙台の店を活動拠点にしようとしたんやけど、動きがとれんということで、山形に置いたみたいだな」
目をつけるところは同じなのでありました。

で、彼が言うには
「(阪神・淡路のときと)なんか変わって来てると感じるなぁ。『やるぞ、いくぞ!』って行くやつはもちろんいるんやけど、『業務命令だからな』という感じの人もいるようで、ま、いろいろや」
う〜ん、人が変わってしまってきている……。
しかしと思う、それでも現場に行って、共に苦労すれば、かならずそういう人も「やる気」の人間にと鍛えられていくのに違いない。
30数年前の俺達のように。

三里塚は、人々の内面に強く深く築かれた財産です。
もうお年を召して、あの頃のように、走りまわる体力では衰えていても、非常時に何をやっていけばいいかをよく知るセンスとスキルを持っている仲間が東北にはたくさんいると、わたくしは信じているのであります。

これから、生き抜くという目の前の課題を真剣に果たしながら、3月11日で確実に大きく変わってしまった日本のドラスチックな激動に備えなければならないと思っています。
どんなシナリオになるのか。
これから日本全体の進路に危機が訪れるでしょう。覚悟しなければなりません。
IMFに押さえ込まれて社会自体が恐るべき、あけすけな資本主義として立て直すのか、それに反撃できる力と、この激甚の被害と原発のような生命の危機を乗り越える勢力を作り出していけるのか。

東北のみなみなさま、被害の最中で、あなた方はアバンギャルドの位置に立っています。
わたしもやれることをやりますので、必死の奮闘を!
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