年を越しても旅から旅へ、は続いており、先日は岩手へ参りました。
いやぁ、すごい雪だった。
泊まった温泉場の少し先は
「一年のうち大ていの日はつめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしてゐる。まはりもみんな青黒いなまこや海坊主のやうな山だ。山のなかごろに大きな洞穴ががらんとあいてゐる。そこから淵沢川がいきなり三百尺ぐらゐの滝になってひのきやいたやのしげみの中をごうと落ちて来る」
というところでした。
温泉場は●●閣、●●館、そして自炊部と、正しい差別が設けられておりまして、はい、もちろんわたくしは、部なのでありました。
だって賢治さんが入った頃の風呂だって、この昔からあるこちらのお部屋のどこかに違いなかろう、と無理やり思ったりして。
障子とガラス窓のそれはそれは寒い部屋。こうでなくちゃいけません(笑)。
1メートルもあるつららがガラス窓にはぶらさがっておりました。
混浴の露天風呂、雪を眺めつつはいるのはよろしおす。
「おお、雪かと思たれば、やっぱり湯気だったじゃい」てなもんです。
さて、書きかけていた猪飼野で25年ぶりほどでお会いしたのは、同じ大学のお方でありました。
猪飼野の生まれ育ちで、子供の頃から正しく朝鮮人として生きてきた。
某神社で妙齢の女性たちに、日本と韓国、とりわけ百済の人々との古代からの関係を語っておりました。女性たちは、風吹く生駒の山のふもとの高校のPTAの皆様方で、鶴橋・猪飼野のフィールドワークにいらしていたのでした。
彼は、大学の時には、ちょっと私たちとは、遠くにおられるというか、いや、発想や感性においては、ひょっとして対極にいらっしゃった。そういえば、ま、みなさまにもお分かりか。
でもね、わたくしがお勤めを果たして出てきた折には、南北関係なく一緒に文化活動やるんだ!って、ほんとにそれを立ち上げて、大きなイベントにしてきたんですよ。
いまは「コリアタウン」を創設してそれを売り出し中。
彼は去年だかに、韓国籍にしたのだとか。
いろんな思いがあったのだろう、と思います。
北に対する批判をはっきりとさせ、それでも民族教育の必要性、日本人との新たな関係の展望をあくことなく語っておりました。
いいなぁ、と思いつつ、大変だよなとも思いつつ…、私もご婦人方とともに、しばらく一緒に歩きながら彼の話に耳を傾けていたのでした。
日本人と朝鮮人との近さ、はっきり言えば、ご本家と出先の分家。
やんごとなき血筋も含めて、この国のDNAを改めて思い返しておりました。
いろいろでたらめやら隠し事やら、思い上がりやらにはっきり区切りをつけて、一緒に生きる道を探さなきゃ。
「東アジア共同体の仲間として、これから生きていく時代なんですわ」
彼の言葉にわたくしも同意いたしました。
「俺らも、ずっとそれを言ってきたんだよ」
「わしも昔から言ってきたのを、あんたも知ってるだろ」
うんうん、少しずつでもお互いにめげずにな。
「また、連絡ちょうだいよ」という彼らしい挨拶に
「はいよ」とわたくしは握手して、あっさりとわかれたのでありました。
また、いつか。
いい話ができるようにと、願いつつ、あの鶴橋駅ガード下の迷路へと戻ったのでありました。