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成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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言うに事欠いて、食うに事欠いて(2)

 ようよう涼しくなってまいりました。みなさま、あの酷暑を乗り切り、ご健勝でありますでしょうか。
「言うに事欠いて、食うに事欠いて」は、実はあることを書きたくて、つけたタイトルでした。
何というのだろう、常識と事実と乖離。いやいや、後々、形作られる「らしい記憶」とでもいいますか。
敗戦や戦後の状況や、あるいは平和がやってきたも、本当に俺たちは、そこに生きた人々の実感に迫るように捉えているのだろうか。
もろもろ、自分が経験したことも、管制塔占拠闘争なんてものも、思うように伝わらず、つまらんステロタイプに堕してしまうのではないか、という恐れも抱くのであります。

地獄のような現実は確かに存在しても、その最中で生きる人間は、さまざまなありようがあり、それはユーモラスだったり、おろかしかったり、笑えたり、しみじみとしたりと、生活の幅と想像力の限りが総合されて、あるのであります。
ムショを、悲惨な場所と、ただ一色に染め上げて捉えるというのも、大間違いですね。
ミスターXのムショの楽しみぶりもまたリアリティのある話なのです。そう思えば、ムショに行くようなことになっても、逼塞して惨めなありさまより、闘ったほうがマシということになりはしませんか、ねぇ、若い衆! なんて思ったりしてね。(外で苦労していたソフィア・ローレンの前では、大きな声では言えません)。

1945年8月25日、私の好きな坂上二郎さんは、もちろん少年でありましたが、鹿児島市内から鹿屋ちかく重富というところに疎開していたのだそうです。
この頃、村は大騒動。鹿屋にも後に進駐軍と呼ばれる連合軍(米軍)が、鹿屋に上陸してくると噂が立ったのでありました。

マッカーサーが厚木に降り立つのが数日後、その頃、この手の噂で日本中の基地近くの村々は戦々恐々とした。
で、ジローさんは言います。
「今で言えば、農協さんですよ。みんな一俵、赤ちゃんから年寄りまで、米を一俵ずつわたすからって。みんなで山の中に逃げたんです。それを背負って、牛、豚、ニワトリを連れてってね。いやぁ、もう食べた食べた」
そりゃね、みんな腹減らしているんだもの。米軍に取られるくらいなら、食いますね。

「大人は、煙を立てちゃいけないというので、(家畜の肉を焼くのに)苦労したようだったけど、宴会みたい。(小さい声で、音なし手拍子つき) ♪花は霧島、たばこは国分〜」
やがて、斥候を村に下ろして、何事もないとわかって、また、一俵ずつ背負って降りてきたのだそうな。

国破れても山河はあるのであります。敗れたからこその酒池肉林もあるのであります。
それから1年後、2年後と、本当に飢えがやってくる日々を前に、一瞬のシアワセを、こうして重富の民草(少なくとも少年は)は手にしたのでありました。
もちろん、それが正しかったかどうかは別ですが。

こんな戦後のエピソードを民話のごとくに語ってしまうジローさんに、私は笑い転げてしまうのであります。私は庶民の代表、生活者のお仲間として、認識するんであります。
「逃げる」も「闘う」も同じ位相にある。そこには知恵と、とんでもないアナーキーなエネルギーがある。
いま、みなみなさま、そんなエネルギーやら発想に欠けているのではありますまいか。

クソ真面目な「正しい」「正しくない」の縛られた生き方やら闘い方ではなく、もちっと、バカバカしい闘いをやりたいよね。
そういや、どんづまりのお笑いの底でも歌える歌にも、今の若い衆は事欠いているなぁ、これも今をつまらないと感じる実相と、正確に見合っているなぁ、とおじさんは同情もし嘆きもするのであります。

ミスターXのおっさん、俺のために「にきたずにふなのりせんと…」と、高尚なお歌、朗々とやってくださいな。夢の中に、聞いてまっせ。
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