お暑うございます。
この酷暑、応えますなぁ、ご同輩。
頭はぼうっとし、まぶたもトロンとしてきます。
ブログは書かねばならぬとおもいつつ、一方でさぼっているという意識もそれほどないのです。
優先しなければならないお仕事をやりつつ、思いついたときにぼちぼち書くというスタイルです。
このページに向かう回数も増やすように努力いたしますので、お待ちの方、どうかお許しください。
「1978年のこの年は、まれにみる酷暑であった。」
これは、ずいぶん昔に私が制作にかかわった、ある大部な本の、冒頭の一節です。
原稿をみたときに、病者にかぶさってきた酷暑に、「そうだった、確かにそうだった」と思い返したのでした。
千葉刑や東京拘置所の狭いお部屋の中で、汗みどろになった夏でした。
まだ若かったからもったものの、もし、いまの体力で、この暑さをあそこでくらったら、はて、どうなったものやら。
「なかば本気で言う」は、わたくしの場合は「言うに事欠いて」とほぼ同じ意味のことが多く、たくさんの人々に誤解も与えてきた人生でありました(笑)。
しかし例の如くに懲りずに言えば、刑務所は、日本の社会保障の現状では最底辺の「生活保障」「生命維持保障」の施設であるようです。
それは、行って見て、収容されている多くの人々の階層や、そこに来るにいたる事情やを、少し考えてみれば、容易にわかることです。
むろん「同情しろ」と言っているわけでも、「犯罪を許せ」といっているわけではありません。刑務所が負っている機能は、事実としてそうだろうというだけのことで。
この夏、刑務所や拘置所の中で、どれくらいの人々が死んでいるのか。
どのようにして、死んでいるのか。
熱中症らしい症状で収容者が亡くなったというニュースは、もっと注目されなければなりません。
刑務所や拘置所のありさまだけでなく、それは、この日本社会の「社会保障」のレベルも、照射しているのに違いない、と思うのであります。
でもね、
地獄もそういつまでも続きはしないもんです。カタストロフィはあるし、そこからものは劇的に動く。
ゆえに、ただ待つのではなく、自分は自分なりに準備をしなくっちゃ。
夏の暑い日の、定番のお言葉でやらせてもらえれば、
「耐え難きを……耐え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かむと欲す」
悪くねぇじゃねえか。オレは嫌いじゃないと口走ったりするのでありますが、むろん、「言うに事欠いて」とも激しく思うのでもあります。
テレビを見ていたら中村メイコさんが話していた。
悲痛な母、喜色表す父の分裂した有様に、なんのことやら、わからんかったという彼女に
「うん、いいんだよ。きみは今日のこの空が青かったことを覚えていなさい」と父は言ったという。
いいよね、ここからだよね。