★俺たち、タワー・アタッカー!!★

成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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3・26管制塔占拠・開港阻止闘争勝利! (14)

長いお休みでした。お詫びいたします。
事情があって、このブログを更新できずにおりました。
事情は……、
「黙秘に決まってるだろ! え、検事さんよ」。
さ、それではまた、ぼちぼち行こか。

3・26は、いつまでたっても3・26です。
今日もまた、NHKの野球放送(甲子園の選抜大会)が映るのをチラと見たとたんに、管制塔へ引き戻されました。

はつりだワッショイ! をやっている最中、管制室のTV画面は、春の選抜高校野球の青春球児が管制室の赤ヘルとは別の金属棒を振り回していたのでした(いや、まだ木製バットだったのかな?)。
やがて、画面は切り替わり、たたき割られた強化ガラスの向こうで、ハンマーやら鉄パイプを振り上げては打ち下ろすシルエットが流されるようになったのでした。

ふだん、自己顕示欲などからっきしない奴ら(除く・前田)が、自分の動きそのままに、シルエットが動くおもしろさに、そのような感情を妙にかき立てられてしまっていたのでした。
はい、うるさかったのですよ、ヘリコプターが。

さて、お勉強。
航空法では、このような建物に確か60mより近づいてはいけないことになっているのです(たぶん。すみません、30年も前に裁判で知ったことで、記憶として正確でないかもしれません)。
でも、ヘリが航空法に違反していたことは確かなのです。
管制塔の高さも距離も窓のすぐそばまで来て、グワングワンと何機も何機も飛び回っていました。

のちに、航空危険罪として立件されたひとつ、「(管制がなくなり)ヘリの飛行が実際に危険な状態にさらされた」というのは、おそらくはカメラマンや記者に叱咤され、頭をどつかれつつヘリの操縦士が管制塔に近づいたものだと思います。

こうでなければなりません。見上げたものです。自らの使命のためには、航空危険などを気にしてはいけません。
いいぞ、俺らの同志だぁ。
(まぁ、俺たちはこの罪名を先に知っていたら、ずいぶん気にしたかもしれんけど……ハハ)。

さて、思い出してください。
あの要塞を造っていた日々、航空法違反を言い立ててヘリから警告していた警察ヘリは、いったいその飛んでいる状態は、航空法違反(危険飛行)になっちまうじゃないか。

法律は、管制塔被告団の場合、ほとんど味方であったことがありませんでした。
でも、やっぱり、使命のためなら、「見上げたもんだよ、屋根屋ふんどし」の心意気と態度でありたい。
法と行動との関係は、そのように私たちの中にありました。
無法はせず、けれど必要なら、その規制を乗り越える。
俺たちは英雄ではないけれど、恥ずかしながら、ときにはやっちゃうぜ。

ほんのちょっぴり、前田から、自己顕示も分けてもらってね。
1978.3.26管制塔占拠 | comments(2) | trackbacks(0)