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成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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3・26管制塔占拠・開港阻止闘争勝利! (8)

管制塔の上の状態は、占拠している者たちにも、まだ把握できておりませんでした。
前田が『1978・3・26 NARITA』で中で述べていることは、たぶんその後の裁判の中で明らかになったことではないかと、思います。
8ゲート組の座談会の中で、彼はこう言っています。

前田●時系列的に整理すると、僕たちが管制塔に上がる前に、みなさんと対峙した機動隊が逆側に登場した。僕たちはなかに入ったが、管制塔の14階まで来ると電子ロックでドアが開かない。そこでベランダに出た。そのとき、機動隊が逆側から登ってきたが、「誰もいない」ということで降りてしまった。そして、太田君が管制室のガラスを割ったので、なかに入って器具を壊しはじめた。われわれが突入したとき、警備本部は混乱の極みとなっていたが、直後に吉鶴君たちのトラックが突っこんできて、警備本部は「今度は自分たちが襲われる」と感じて混乱に拍車がかかった。(『1978・3・26 NARITA』より)

例の反対側のベランダに機動隊員は一度、上がってきていたのでしょう。
で、8ゲート部隊が空港の中にしずしずと、隊列を進めてきて、管制塔部隊に思い切り手を振って激励しているさなかに、太田がパラボラアンテナを足場にして、管制室の外にめぐらしてあるキャットウォークに登攀したのでありました。

彼は、管制室の中央に脚立を立て、それに乗っているネクタイ姿の男性を見たと言います。屋上へ退避しようとする最後の一人だったのでしょう。
太田と目を合わせた直後に、上へと姿を消し、脚立も引き上げてしまいます。

人がいた。いるのかよ。でも、いた。管制官が。
開港前の日曜日にも、お仕事をされていた。
世間がお休みのときに仕事をしてはいけません。まして、その休みの日が闘争の日になっているときには、三里塚みたいなところで働いてはいけません!

怖い思いをさせて誠に申し訳ありませんでしたが、屋上に退避していただいて、ありがたいことでした。
管制塔占拠部隊は「人質をとるな」という規律が課せられていましたから、何とか彼らを安全に退避させようとしたでしょうが、あのまま管制室にいられたら、あとあと難問が持ち上がっていたかもしれません。

太田は、キャットウォークに立ち上がり、バールで外側のガラスを割りにかかります。
片手で管制塔の外枠の手がかりを握り締め、片手でバールをぶつけます。
ところが、意外にガラスは弾力があり、ブヨヨヨ〜ンとバールを跳ね返したといいます。
ここからが凄い。

彼は跳ね返す弾性が弱い端のほう、つまり枠のすぐ近くを狙って、両手でバールを突き入れていったのです。ガラスに食い込む感触がありました。跳ね返す力が弱いと確認した彼は「ここが狙い目」と思ったといいます。
やがてまた、片手を手がかりに掛け、身体を外に反らしては、バールを小さな穴めがけて打ち付けていきました。キャットウォークの隙間からは60m下の管理等正面玄関あたりの地上が見えていました。

穴を広げた太田は、のそっと下の前田に声をかけます。
「あのぅ、ここから入れますよ」

remol
1978.3.26管制塔占拠 | comments(2) | trackbacks(0)

3・26管制塔占拠・開港阻止闘争勝利! (9)

都内某所のビルのベランダで、頭上の壁を見上げていると、管制塔のベランダを思い出したりするものです。
前田は裁判で「管制室への道を見つけた太田君が大殊勲」と証言しました。
不思議なもので、管制塔部隊は、ろくな打合せもしていないのに、それぞれの現場でそれぞれのやるべきことを選び取り、実にうまく役割を果たしていきました。

太田に「ここから上れますよ」と、のそりと声をかけられた前田は、えらい勢いでパラボラアンテナに取り付き、登り始めました。
前田は、太田が開けた管制室外側のガラスの穴を確かめるや、14階ベランダの中路に声を「ハンマーを渡してくれ」と言います。

このとき、ハンマーを持っていたのは児島と中路の二人です。児島は千葉で前田とともに活動してきて、前田にくっついて「どこまでも参ります」が任務でありますから、言われなくても、高く高く登るのであります。

中路はハンマーを前田に渡して、自分も上へ登ろうとします。前田は冷酷であります。
頭を踏んづけて(比喩だよ、比喩)「下を守れ!」と厳命したのでありました。
上へ行くべき人間は、正しく管制室へ行きました。
つまり、前田、太刀持ち児島、プロ青のリーダー太田、戦旗代表水野、です。たぶんあとの二人、インターの藤田、プロ青の中川は、行かなくてもよかったはずの面子でした。

中路は、今度は上へ行こうとする小泉の足を引っ張り、中路と小泉は、またまた上へ行こうとする平田を阻止します。
前田から中路・小泉・平田と波頭のたったインターの部隊では、あの「玉突き革命論」と揶揄されもした、ベトナム・沖縄・朝鮮・日本・中国へと革命を全力で頑張らねばという「極東解放革命」の力学を忠実に具現化した時代遅れの優等生であったのです。
実際、いいかげんな中川のおっさんなどは、そういうありさまを尻目に、さっさと管制室へ入り込み、報道ヘリに向かってVサインなど掲げていたのでありました。

管制室の機器は10分もせぬうちに、全壊いたしました。当たるを幸い、お祭りだ、ハツリだ・わっしょい、ドンガララ! 
代わりばんこにハンマーを持ち合っては、ドカンドカンと瞬く間に壊してしまったのでありました。
反対派農民の怨嗟の象徴であった管制塔の中枢にして、開港の要であった飛行場管制の機能は、あっけなく壊滅したのです。

この管制室へ向かって登攀していく赤ヘルのメンバーと、窓から春風に乗って舞い散っていく書類の帯を下から眺めた8ゲート部隊は、もうたまらん状態に陥っていくのでありました。

remol



1978.3.26管制塔占拠 | comments(0) | trackbacks(0)

3・26管制塔占拠・開港阻止闘争勝利! (10)

 8ゲートを手前にして、わが赤ヘル歩兵部隊は、のた打ち回っておりました。
わけの分かっているやつと、わけもわからず騒ぐ奴。
行くか、行かぬか、決断のときです。

管制塔部隊は実はもうのんびりしかかっていたのです。
やることやっているし、上から見ている赤ヘル部隊は、まぁ、かっこいい。
でも、なんだか、動きが変。
立ち止まり、ちと進み、伸び縮み……

♪来るの、来ないの、どうするの
 早く精神、決めなさい
 決めたら、ビンもって、進みなさぁい

失礼、この歌はけしからん歌だと、批判する向きもおありでしょうが、上から見たとき、気分的にはそういう感じなんだよね。
でもね、本音を言うと、「来なくていい!」でした。わざわざ、逮捕者を出しに来ることはない、というのが、おそらく上にいた連中の多数の気持ちだったでしょう。
でも、そうはいかんのですよね。勢いがついたときというのは。
まして、今日は突撃、空港の中に踊りこんで、逮捕覚悟で徹底的に闘う、というカタァい決意をしてきている部隊だもの。

『1978・3・26 NARITA』から、8ゲートの人々の様子を引用します。

高橋●8ゲートへの進軍中、最初に見えたのは何だったかなぁ?
佐々木●9ゲートから突入した車が燃えた煙だよ。
大森●東峰で燃やした車の煙も見えていた。
大門●警察の阻止線が全部、壊れてしまった。警察同士の連絡もつかない状況に陥っていた。だから闘争本部にいた私たちは、8ゲートまで行けるだろうということは、わかっていた。問題は、8ゲートについたらどうするか。その悩みが大きかったわけです(笑)。吉鶴君のように、昨夜、マンホールに入れなかったような連中がいる。大館君には「管制塔が占拠できたから撤収せよ」と指令するのだけど、「吉鶴たちが引かないといっている」という連絡が入る。
 
大館●機動隊とぶつかる前に、管制塔に赤旗が翻っているのが見える状況のなかです。
大森●管制塔に向って「やったー! よくやったぞー!」って、みんなが手をふっていた。
吉鶴●僕は管制塔部隊の作戦内容を知っていたから、「ああ、成功したんだ!」って、すぐにわかったけど、8ゲート部隊の圧倒的多数は、なぜ管制塔に赤旗が翻っているのかがわからない。僕は失敗したメンバーとして、手をふりながら管制塔のちかくまで行こうとしたわけ。
 
大森●僕なんか、「先を越された」と、警察よりもショックを受けたりしてね(笑)。
大門●8ゲートまで行くしかないと思ったのは、われわれのスローガンが「包囲、突入、占拠」だったからです。8ゲートは占拠部隊ではないにしても、突入部隊だと本人たちは自覚していた。そして、さまざまな訓練を積んできた最精鋭だという自負もある。インターの場合、300人と数は多いが、2年間にわたって毎週、機動隊とぶつかってきた部隊だった。

佐々木●この300名は基本的に中隊、小隊として編成されていた。1小隊が10人程度で、5小隊で中隊となる。実際の戦闘ではあまり役に立たなかったけれども、一応はそのように編成されていたわけです。実戦では、小隊長が「突っこめ」という前に突っこんでしまったり、小隊長が1人で突っこんでいったり、バラバラですけどね(笑)。しかし、そのように編成されているのは、全員がコマンドとして自覚しているからです。

大館●希一さんか私だったのかは忘れたけど、プロ青、戦旗派の諸君といっしょにその場でアジったわけです。「管制塔に突入したのはわれわれの部隊である。今後も闘争が続くのだから、機動隊と白兵戦にならなくても、この場から引き返せ」と。本部からの指令で、そのようなアジテーションをしたと思うんです。それが、あとから、ものすごい批判をあびることになった(笑)。

佐々木●トラックの荷台のうしろに立って、そのアジテーションをしたのは僕なんだよ。部隊は、これからどうしたらいいかわからなくて、茫然自失状態。行く気満々の連中だから、「帰るぞ」と言ったって聞く耳を持つはずがない。そこで、言葉を選んで「帰る」とは言わずに、方針提起をした。そうしたら僕のうしろで大館が「行くんだね、行っていいんだね」と無線連絡をしている。
                                        (『1978・3・26 NARITA』より)




あははは……。指揮者はつらいね。

remol
1978.3.26管制塔占拠 | comments(1) | trackbacks(0)