世の中の展開はなかなかに早うございます。
激しく三里塚闘争が行われていた頃、無内容にただ元気よく「♪さらば涙といおう」とTVで歌っていた剣道少年が千葉県の知事になってしまいました。
ずっと続くタレント知事とその活躍を忖度いたしますに、「知事なんてものは誰がなってもお仕事できるのね」と思ってしまうのでありますが。
森田氏は成田については「羽田・成田をつなぐリニアモーターカー」が政策らしい。
このままでは羽田拡張によって、成田が沈んでしまうという危機感は、千葉県側はそうとうに深いようです。
しかし、極東アジアのハブ空港という展望からいえば、私の目にはすっかり決着がついているように見えます。成田のあの規模による役割、これからぶつかる課題からみれば、東アジアのハブ空港は、およそ望むべくもない。羽田でさえその役割を果たすことはもう無理なのではと、思います。
東アジアに冠たる国際空港の建設は、成田が足を引っ張り続けてこの体たらくというのがこの問題の正しい見方。成田が羽田に取って代われるわけがなく、羽田もその役割では「危ないど」ということでしょう。
日本の指導者は、国際的な視点も先を見る目もなく、アホやったということですね。
かつて激しく反対運動を展開した住民の中に「空港との共存」を自分たちの未来としてい選び取った人がたくさんいます。その人々もこれから、この問題でまた翻弄されたり切り捨てられたりする状況が生まれてくるのではないでしょうか。
遠い昔のお話をしているのも、ただ世の流れに取り残されているばかりのようでいながら、実は原因や結果が連なり、またその結果が原因になりということを思い返すに、「あのとき」が今にどう生きるのか、考えてみるのもけっして無駄ではありますまい。
決まったことをただ官僚的に進めることしかない成田空港は、そのために問題を大きくし、また次の困難を生み出していきます。糊塗とごまかし、が成田の歴史です。それを無理やりにやろうとするから、恐ろしく暴力的なありさまになってしまいます。
私たちの実力闘争は、時と場所をわきまえた、「激しいけれど最低限のお仕事」というのが私の印象です。
なのになぜ、一連の闘争があれほど波及力をもったのか?
そこを本気になって考えて見なければなりません。
(反対運動をむやみに無内容に戦闘的な装いで強調するあり方も、支援に向かった新左翼は根強くもっていましたが)
当日、空港に突入した者たちはまなじりをけっしておりましたが、いっぽうでどこか「あ、こりゃこりゃ」の感覚もまたあったのです。
管制塔を占拠した部隊は「殺すな」「人質をとるな」という規律が課せられていました。
高いところでの勝負になったとき、ひとつ間違えば人死にが出る、というのはありえる話でした。
頭にかっとくる場面でも、冷静に事態に対処すること。少なくとも管制塔組は、意外に落ち着いていたとはいえると思います。
好きな話があります。
排水溝から這い出して、(鉄パイプより格段に破壊力の大きい)ハンマーをもった児島が、「俺は人を殺してしまうのだろうか?」と思ったというのです。
もうひとつおかしいのは、たぶん管理棟7階でエレベータを降りたとき、また児島はキャーを悲鳴を上げた女性の職員を見て「何か悪いことをしているのかな? 世間ではこういうのを犯罪というんだ」と、妙な自覚をしたというのであります。
やっているほうと、びっくらこいたほうの意識の落差。当たり前でありますが、けっこうおかしい話です。
驚かせたのは申し訳ない話ですが、時と場所を選んで、それも自分のカラダで責任を取るつもりでいたのですから、許してくださいね。
一方で、管制塔事件の後、劇作家のつかこうへいが1階のカメラに残された映像を指して「革命なんていうのなら、真っ先にそれを壊さんかい!」と、ありがたい悪態をついていました。
雑誌記事のそれを読んで私は笑い転げました。
きっと演劇的にあの闘争が行われた、といいたかったのかもしれませんが、あの闘争が革命につながるなんぞ、やったやつの誰が思っていただろうか。そこにカメラがあったことを1階に残った連中の誰が知っていただろう。
我らの気質と、それを遠くから見るものによる平和的気質のお門違い。
でも、人間としてみるなら、どこかでつながるリアリティ。
官僚的で暴力的に進む事態に、おろかしくてもお笑いでも、あくまで人間として立ち向かうこと。
私たちにはこれしかなく、そしてそれが最大の武器です。
一見、弱く見えて、これがいちばん強い。
誤解をないまぜにしながら、それでも広がっていく共感の波のようなものが運動や闘争を支えるものだと思うのであります。
共感の波は、ある時点でとてつもない大渦をつくってしまうものです。
そこには頑強に、粘り強く、しなやかに働き続けている人間が、かならずいるものです。
remol