まず、読者の皆様におわびです。
横堀要塞は、これまで私が書いた3200m横風用滑走路予定地の延長線上(アプローチ・エリア)ではなく、2500m平行滑走路予定地の南側の延長線上(アプローチ・エリア)に建設されたものでした。
横風用滑走路と平行滑走路は、計画上ではこのあたりで接しており、地点でいえばごく近くになります。
前のブログで誤って書いてしまった箇所は、修正しておきます。
イレギュラーず さん、ご指摘、ありがとうございます。
さささ、激闘の現場に戻りましょう。
高さ12mの要塞の上にそそりたつ20mの鉄塔には、中段と頂点近くの高段と二つの足場がつくられ、防護枠がしつらえてあったように記憶しています。
鉄塔のてっぺんには、♪輪輪輪がぁ三つぅ、の反対同盟旗が翻っていました。夜が更けるにしたがい寒気に覆われ、放水に濡れそぼった同盟旗は、凍てつきながら鉄塔にまとわりついていた、という感じでした。
鉄塔四戦士とても同様、かぶったヘルメットにツララをさげ、この酷寒の夜を耐えます。
谷津を挟んだ台地に据えられた宣伝カーから激励の声。
「眠ってはいけない、凍死の恐れがある。声をかけ、励ましあって、戦い抜くんだ…」
点々と焚き火の炎があがる台地で、腕を組んだ支援者がインターナショナルが歌う。サーチライトの鉄塔上で、彼らも身体を揺らして歌っているらしい。
「俺らは歌を歌うぐらいしかできんのか、いったい何しにここに来たのか? 火に当たっている自分がなんか情けない…。早く、早く…朝が来てくれ」
正直に言うと、そんな感情をもって、鉄塔を見つめ続けておりました。
さすがに朝まで放水はなかったように記憶しております。
けれど、夜が明けるや、直ちに強烈に水が四人に叩きつけられ始めたのでした。
そのたびに、鉄塔は揺れ、反対同盟旗の結わえてある戦端のポールが撓みました。
よせばいいのに、お前はマゾヒストか、大島さんよ!
撓むポールにわざわざ登りあがり、旗に身をくるむようにして、放水を浴びにいく。
ただひたすらしがみ付いて、ヘルメットを高圧の水のほうに傾けて、揺れているのです。
中段にいるお仲間は、これまた銀色の防護服をきた機動隊のレインジャー部隊が近づくたびに、ありとあらゆるものを落として戦い続けていました。
遠く離れた支援者のところまで、音が聞こえてきそうな放水で吹き飛ばされそうになりながら、タンクが空になって放水が止むと、ドバっと立ち上がって両手を振り、パイプを打ち鳴らして、こちらに挨拶を送ってよこすのでした。
いやいや、ほとんど機動隊を愚弄しているというようにも見えるのでした。
何度も何度も、凄まじい高圧の放水を身に浴びながら、彼らはまた夜を迎えたのでした。
横堀街道でもまた、火炎瓶による攻撃が、機動隊に向けられます。
反対同盟は「飯を届けさせろ。上杉謙信だって信玄に塩を送ったではないか」と詰め寄っていました。
後で聞けば、アドバルーンを使って運べないかという案まで、検討されていたのだそうです。
日が落ちてからは、反対同盟のおっ母さんたちが、別の人間に詰め寄るのでした。
「もう、おろしてやってくれ。りっぱにアンちゃんたちは闘ったでねえか」
要塞建設のときから、現場につめて、この闘争を建設隊と一緒につくってきた青行の新二さんや、インターの指導部相手に、涙を流しながら懇願し命令し、「おろせ」と詰め寄るのでした。
(反対同盟ではない、おそらく)農家の婦人が「テレビで見てて、いてもたってもいられなくなっただよ……」と、私たちのまえをオロオロと、何か手にもって(ひょっとして食い物だったのでしょうか)、行きつ戻りつしておられました。
機動隊も手詰まり。なすすべがない状態に追い込まれていました。
このまま、また酷寒の中で激しい放水を続ければ、今夜こそ、闇の中から「死」がその顔を覗かせかねない。
機動隊も、反対派も、その意識がありました。
放水が止んでいました。
そこに新聞記者から情報が入ります。
「1人が体調を崩しているらしい。鉄塔では、1人だけ下ろすという交渉が機動隊と行われていて、機動隊がそれを拒否して全員降りて来いと言っている」というものでした。
反対同盟はここで決断します。
濡れたもの全てが凍り、鉄塔も凍てつく午後9時半。
スピーカーからの新二さんの声が響きます。
「鉄塔死守隊の同士の諸君。これから反対同盟の決定を伝えます。聞こえたら大きく手を振ってください」
サーチライトに照らされたシルエットが手を振る。
「機動隊はもう手も足も出ません。反対同盟は勝利を確認し、全員を降ろすことを決定しました。決定に従って降りてください。2日間の闘争、ごくろうさまでした。わかったらもう一度、手を振りなさい」
こうして半ば凍傷を負い、曲がらぬ手と足で、ゆっくりと4人は地上に降り立ちました。
大島はその前に、また一度、ポールの先端に登攀し、反対同盟旗をほどいて収納しようとしたように見えました。
結び目が凍った旗は、そのままつわものどもの奮戦のあとをとどめました。
降りてくる彼らに、きっと私たちは、叫び続け拍手をしていたに違いないのに、私の記憶では、何か凄まじいばかりに静かな光景として残ります。
「やっと降りてきてくれた」。それが機動隊の感情だったのではないでしょうか。
機動隊の中には、降りてくる4人を拍手で迎えた者たちもいたのだそうです。
remol