★俺たち、タワー・アタッカー!!★

成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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絶望の虚妄 希望の虚妄

 よせというのに、なぜか私のことを「師匠」と大真面目に呼んではばからぬアホが一人だけいて、彼と話していると、むしろこちらも教えられることも多いのであります。
人の仕草、表情、そこからその人物が何を考えているのかを、なるほど見事に読み取ったりするのです。
アブナイです。こっちもどう思われているのか知れたものじゃない(笑)。

さて、彼に書きなさいとうながされていることもあるのですが、本日は、別の件。
よそさまのホームページなど覗いてみるうちに、思い返すことも多くいできて……。歳というものですね。

後藤昌次郎さんの死と、永田洋子さんの死です。
後藤さんに面会に入ってもらったことがあったのです。管制塔事件で逮捕されて、そろそろ調べの期日も迫って、起訴される時分であったと思います。
既に、わたくしは千葉拘置所(イメージでは、赤いレンガの千葉刑務所)に、移されておりました。
いくつかの留置場を転々として、ついに、一緒に管制塔に登ったお仲間と別れて、一人だけ先に千葉刑に参ったのでございます。
一緒にしておいたら、しゃべらないと、舐められたのかもしれません。まったくね。

面会の弁護士の名前を聞いて、「え! そんな大物が俺みたいなのに面会に入ってくれるの?」と、わたくしは心底から謙虚だったのでありました。
取調べの状況など、お話して、心境もまぁ伝えたのです。
「20年、ぶち込んでやる、と言っています。ん〜ん、しょうがないですね。もう腹を決めました」
実際はそんなカッコよくもなく、なんともいいがたい心境だったのでしたが、後藤さんは励まし風にほめてくれたのでした。

「りっぱだね。私が担当している事件では、つかまったらすぐしゃべってしまった」とおっしゃったのでした。
何の事件のことか、読者の方々にはお分かりと思いますが、自供とは大方、警察官・検察官による情けない想像力の産物で、しかし、自供調書に指に墨をつけて押したがために、そのウソを崩す努力やら、捕まった人々の人間関係がむちゃくちゃになってしまって、あとあとえらい苦労をすることになるのです。

でも、そのときはそんなリアリティなんか、こっちにあるはずもなく、ただ、しゃべらなかっただけ。
夜と昼が交互にくるように、夜中にえんえんと続く調べの最中、房に戻ってひとり天井を見上げているときなど、それは自分の人生は終わった、と思えるものです。
暗く出口のない、自分でもいやになる、ある種、異様な心理状態に追い込まれるのであります。
むろん、人間の出来がよくないから、そんな中でも、検事や警察をからかって、かえって相手を怒らしてもいたし、かとおもえば、ひどくお褒めに預かったりもいたしまして……。

夜が明ければ、そのような暗い心理は、私の場合、コロリと変わっておりました。根っから苦労の仕方をしらない人間なのですね。だから、これはある意味、コンジョなし、ともいえます。
暗い出口のない調べが延々と続く最中、体力を温存することがどれほど大事か、そのようにスタンスを取ることが、こういうときに心理にあたえる影響が大きいかも学んだのでした。

デカが調べ室に喜び勇んでスキップしながらやってきて「おい、しゃべったやつが出たよ。だめなんだよ。やるときゃ、ひとりでやらなきゃ。共犯者がいちゃダメなんだよ」とのたまったときでした。
なんと恐ろしいことに、実のことをいえば、「俺より先にしゃべる奴がいた」と、変にほっとしたのでした。
そのとき、自分はけっして自供しない、と心に決めていたのです。にもかかわらず、「俺より先に」と感じ、しかも、どこか安堵した気分があったのです。
自供は、先にも書いたように、私たちの闘争では大変な破壊(自壊)力を与えます。そのことを知っているにもかかわらず、私はそのように、情けなくもただひたすらに個人的な感情を感じたのです。

そして、思いました。
こんなふうに思う「俺は鬼だ」。このように感じる自分を、恥ずかしく情けない鬼だと思ったのでした。

でも、人は一度くらいは、そんなふうに大事の前に追い込まれる経験をしておいた方がいい。
あとから、そのように感じました。
後藤さんの担当した事件や、連合赤軍事件の、追い込まれ方とその回避なり「解決」の仕方が、あの弧絶した黒々とした、出口のない心理が、私にかぶさって見えてしまいます。

でも、どんなときにも、絶望に陥りきらない方法がある。
あるいは希望を安易に我が物としようとする浅薄ではけっしてたどり着けない、厳しいけれどしっかりした方法があるのであります。
いえ、一人ひとりもそれを自分の胸のうちに見つけ出し、なおかつ、運動や組織の中に、それを生かし続ける微塵の努力も必要なのだと思います。

不明をさとらずして、われを「師匠」と呼ぶアホに、パンドラの箱のお話をいたしました。
箱の底にあった希望は、けっしてポジティブなものばかりと考えてはならない。
そんなものが、苦労せずして、手に入るわけがない。そんなことしたら、人に害を及ぼすよ。
あれは、最大の「悪徳」という説もあるのだよ……。
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この記事に対するコメント

あの修羅場を潜り抜けたことが、今も自分の生の源になっている。

佐原署で一緒だった胸にキスマークのある仲間(誰とは言いませんが・・・)と一晩で別れ、佐倉署の留置場に移ると、そこには前日マンホール近くでパクられたSと分離のFと秋葉哲さんがすでに入ってました。

次の日から、二人のデカによる拷問(一日13時間の取調べが起訴されるまで23日間続けられた)が始まった。
朝目覚めるとまず、「糟谷と春日庄次郎と金芝河(当時獄中だった)に恥じぬよう黙秘を貫かん!たとえこの身を傷つけようと・・・」と自分に言い聞かせました。
朝日新聞を見せられ、弁護士から「しゃべってもしゃべらなくても10年はかたいよ」と言われてましたから、まあ腹が据わって対峙することができました。
署内の桜まつりの日、銃器庫から拳銃を持ち出したデカが、銃口を向けた時はちょっとびびりましたが、サンケイの指名手配で身元がばれたあとも貫くことができました。
そんな中、まずSがいなくなり13日が過ぎたころFが移されました。最後に起訴された秋葉さんが千葉刑に移り一人になってしましました。

取調べの最後の日「おまえの根性だったらしゃばに出て何でも出来るぞ」と褒められたが、うれしくなかった。
ミスターX | 2011/02/17 7:40 AM
昨日はジミー・スミスのオルガン・プレイをみた後、ハル・アシュビー監督の映画『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』みました。“師匠”からフォークやボブ・ディランの話を聞いた記憶はないのですが、『怒りの葡萄』的な世界の中で歌うウディの姿に“だよなぁ”とおもい、すぐに“師匠”に通じるなぁともおもいました。

今や“絶望”に直面する機会などないとノーノーアンノンとすごしている僕ですが、ふと目を凝らすと半径2メートル以内に“病気”や“失業”といった絶望がタプタプたゆたっているのに気づきます。“師匠”のブログ読んで好きな歌の歌詞を思い出しました。

「風がやんで、死んだふりしてたら、飛んだ。こう、両手で。世知辛い世か知んないが、待ってないんじゃ、やってんだ。箱ん中ってなぁ重傷で、もうさっぱわかんないからねぇ。ただ僕らは絶望の“望”を信じる」

いまチェーザレ・ボルジアにハマってます……。
“弟子” | 2011/02/17 2:51 PM
ミスターX さまへ

>あの修羅場を潜り抜けたことが、今も自分の生の源になっている。

まったくわたくしも同じように感じます。感謝しております(笑)。しっかし、大事の現場にキスマークなんぞ聖斑のごとくにつけていくアホは、管制塔Gから除名しなきゃね(笑)。

後に同じ階にいた8ゲートだったかの被告が「管制塔らしい被疑者の取調べはまったく違っていた」と、いうのを聞きました。回数も時間も、まず、規格外(笑)だったのでしょう。
また「夜中に、すごい声を出して苦しんでいた」とも。

取調べに屈すると、人間性が破壊されていく感じです。一人ひとりが抱えた200数十時間の「拷問」。それぞれに事情を抱えた「戦士」たちも、しゃべるしゃべらないにかかわらず、ただの若い衆がよく頑張ったと思います。

Sさん、千葉拘置所で近くにおりました。確か、その後に、父上が雪下ろしの事故で亡くなり苦労されたようです。今年の雪の多い北国の様子をニュースでみて、彼のことを思い出しておりました。
remol | 2011/02/18 12:45 PM
弟子へ

(ごめん、さっきコメントしたところだけど、ちょっと思い違い(というか舌足らずなので)、書き加えておきます。)

もうすぐ二つ目にしてやるからな。精進するように(笑)。
なんていうバカを言っている間に、何だかあれこれお勉強されているようで何よりです。

チェーザレ・ボルジアについては、まるで論評もできぬほどものを知り申さず、許されよ。
その他のお名前が挙がっている方は、少しだけ語れますね。
そんなおじさん趣味をやってると、役立たずな俺みたいになりそうで、それでそれは心配であります。

では、では、お一つ歌います。

♪デスランド 伊豆 湯ぁランド
デスランド 伊豆 舞えランド
風呂ん 急有り放るには 津じゃ 入浴合いランド
入るレッドウッド プフォぉ! レスト
津じゃ、湾岸流 
デスランド 和ズ 冥土 プフォ 湯〜浴み

こないだ、海沼実のこと、『みかんの花咲く丘』のことを友人と語ったばかりで、葡萄ではなく、明るい日の光とみかんの伊豆のことを思っております。
段々畑の上から海を見ながら、待っていた父は、無事帰ってきたのでしょうか。

(  ↑は、実はもうひとつの名曲「里の秋」と響きあっていて、それは見事に二つで一曲だと、わたしは思っているのです。
「みかんの花咲く丘」は丘の上の少女が、一人で居ると「やさしい母さん、思わるる」と歌うのであり、里の秋は「さよなら、さよなら椰子の島」「ああ、父さん、ご無事でと」と、母と二人して、祈っているのであります。

「みかん」のほうは、たぶん、父を待ちながら死んだ母が光と海の景色にあるのです。だから、ここにも父の像が浮かんでいる、と私には思えてなりません。
と、これが付け加えた部分。いつか、お歌についても、お話しましょ。)

まさか、酷い仕儀のまま、父はそのまま西方浄土へ旅立ったなんてことがあるものかと、あの歌を聞くと、思います。
ぶどうもみかんも、正しい父の力を思わせますねぇ
remol | 2011/02/21 12:25 AM
3・26を想起し、こちらに。
もう何十年前のことなのでしょうね。あの3・26は。
私は幸運にも逮捕されず、無事帰還しましたが、その後は…何回も。(笑)

「パンドラの箱」は、確かに承りました。
同意します。
人間とは、そうした存在だと了解しております。

そして進んだり後退しながらも、なおかつ歴史、大義等々に生きようと意志する人間に、私は共感を覚えます。

何十年前の3・26を思い起こして、「パンドラの箱」を読ませていただいた感想です。

失礼しました。
一緒に闘った他党派 | 2011/03/26 11:23 AM
一緒に闘った他党派さま

ごめんなさい。きっと今日はブログが書かれているとのぞいてくださったのでしょうね。

東北現地に思いを馳せ、あれこれとこなさなければならぬことに終われていました。
今日書いたブログは、実は、とても舌足らずです。
しかし、本当に日本の変わり目、と感じています。
書ききれなかったことは、後日、少しずつ、書くつもりです。

投げ返されても、少しずつでも共に進みましょう。
俺達の中に築かれたものは、誰も奪いようがありませんから。
remol | 2011/03/26 6:38 PM
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