★俺たち、タワー・アタッカー!!★

成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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『戦士』の往路・戻り道

思わぬ人に思わぬところでバッタリということが、続いておりました。
確かに「管制塔戦士」たる、見覚えのある後ろ姿に、先日、声をかけてしまったのでした。
年に1度、あるいは2度と、それなりに定期に顔を合わせる者もいるのですが、ほんとに久方ぶりに遭遇するしかない者も。

といっても、別に仲が悪いわけではなく、なんとも互いに、「アハハハ!」と笑うばかりで、なんだかいいよねぇ。

共通の友人・仲間の知っている近況を立ち話ですり合わせ。
「死の影」が揺曳する存在が話題の軸になるのも、仕方ありません。みんな、そんなことがあっても、おかしくない御年、バレイを重ねてもいるのであります。

それから数日後、仕事がらみで、弘前へ。
遠い、遠い、新幹線と特急を使っても、6時間もかかった北の文化都市。
そして、駅を降りれば降りとたんに、ここからやってきた管制塔突入組もいたっけな、と思い出すのでした。
互いに「アハハハ」の彼と、弘前からの彼は、まったく不運な思い違いと偶然で、奇妙な「軋轢」のようなものが数年、続いたのではなかったか。
キャラクターと状況の組み合わせが、思わぬ事象も引き起こすのだと、美しい緑の中の城中を歩きながら思いました。

管制塔占拠の表の話の他に、裏にこっそりと忍び込んでいるエピソードもむろんあります。
もし、いつか、書いてもいいよ、ということになれば、むろん、べしゃりいのわたくしは、書くのに違いないのですが。

もひとり、前回、書いた「撤退のタイミング」に合わせることもなく、突撃ばっかり頭にあったらしい「管制塔戦士」のなりそこない、もおりました。
トンガリ小法子のヨシツル君などは、何度も『1978.3.26NARITA』に発言者として登場し、「管制塔戦士」なりそこないの悲哀と、戦闘精神の発露について、涙ながらに語っておられます(笑)。

本州北の果ての管制塔組に重なるように、また、本州西端・九州大学よりやってきたN君も、私は思い出すのであります。
落ち着いた人でした。
突入前夜、たぶん20キロくらいはある鉄パイプの束やら、新兵器「電気銃」なんて恐ろしげなものを、ふたりして運んだのだよね。
警戒をかいくぐりながら、着実な判断を俺に伝え、提案していました。

彼も、前夜、マンホールに入れずに管制塔組にはなりそこなったのですが、なんとまぁ、空港内でちゃんとおまわりさんに銃で足を打ち抜かれて、逮捕されていたのでした。
ずらりと並ばされた逮捕者の中に、足を引きずっている彼の姿を発見したとき、「なんと律儀な」とも、「困ったもんだ」の連帯感も覚えたのでした。

東北の弘前大の彼、九州の九州大の彼、はるばぁる来たぜ、三里塚。
その後、自分の人生をどう生きたのか、詳しくは知りませんが、往路と、そこからの帰路ではなく新しく始まった別の道のシークエンスをいつか聞いてみたいと思います。

「感謝している」といえば、どこか思い上がりに違いないと感じつつ、それでもそのような感情が私の中では、相変わらず湧きあがってくるのでありました。

1978.3.26管制塔占拠 | comments(5) | trackbacks(0)

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この記事に対するコメント

梅雨明けのヒグラシの鳴き声を聞きながら…

しみじみとしてしまいますね〜往路はいいとして、帰路では…

別の道を辿った、または未だ30年経っても…「時」に出会ったという経験など。人生においてそう滅多に出くわすものではない、と…
イレギュラーず | 2010/07/18 7:05 PM
今、モーニングサービスをくらい駅近くのビジネスホテルのベットでくつろいでます。

昨日「管制党戦士」に会った。

それも二人だ。

岡山の太田と京都の津田と京都駅近くで一杯やった。

二人の近況はこんな具合だった。

太田は大学生の子供二人の養育費を稼ぐため、髪を真っ白にして働きつづけてました。

津田は減量に成功したようで、引き締まったボディーで現れました。
仕事は二人でパソコンを使ってやってるとかで、日曜祝日も働いているそうです。

やあぁ

しかし飲みすぎたあぁ

太田と清水寺で昼寝でもしますわぁ

ミスターX | 2010/07/19 7:53 AM
イレギュラーず様

労農合宿所の畑の向こう林では、夕刻、ヒグラシがほんとに時雨のごとく鳴きました。

日中、夕立で気温が下がったとたんに、次々に木霊のように湧き上がることも。

行きつ戻りつ、はては、投げ戻される状況を思い重ねつつ、管制塔に関わった人間たちも、「いま」をきっと生きているんだろう。

と、そんな信頼感はあるさね。幸せなことです。
remol | 2010/07/20 11:57 AM
ミスターX 様

祇園祭のはての東山か…、そこからだと祇園さんへもすぐですね。
太田、津田御両所、お元気でなによりでした。

清水は、その昔、子安の塔側から歩いて入ると、拝観料も掛からないし、大きな墓地を抜けて、子安の塔の裏の道がなんともよかったのでした。
ここが鬼神も住めば霊も住む鳥辺野でありますね(きっと、いまは、整備されていると思いますが)。

その「大きな墓地」に『肉弾三勇士』の墓がありました。我が帝国、最初の軍神であらせられたか?……

戦士や勇士は作られるもの。
でも、作られたものにイメージを喚起されることもあるわけでね。
いえいえ、左翼的決まり文句の否定的評価ではなくてね。
「管制塔戦士」達は、きっとこの感覚がわかると思う。いつか連れもって、鳥辺野に行こな。

管制塔戦士になる前の、誰かさんのガールフレンドとの散歩道でありました(笑)。

remol | 2010/07/20 12:28 PM

太田からメールが来た。

昨夜のお宝鑑定団で、河井寛次郎の茶碗に350万の値がつきました。

と。

太田と万ちゃんの三人連れそって「河井寛次郎記念館」で一時間近く遊んでた。

ああー、あのときひとつ懐に入れとけば・・・


シィシィと蝉が初鳴く競馬場



ミスターX | 2010/07/21 6:03 AM
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