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成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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★「開港阻止・管制塔占拠メンバーのいま」

  まず、たくさんの方にお礼を申し上げなければなりません。

 管制塔占拠メンバーは刑事事件の被告人としてだけでなく、管制塔を破壊したことをもって、国・空港公団(現成田国際空港株式会社)から、損害賠償請求を受けていました。 でも、管制塔グループは「(壊して何が悪い)ボルト1本、ガラス1枚、三里塚の農民の恨みのこもらないものはない。国や公団は、村を破壊し農民殺しをやってきたではないか」(管制塔占拠部隊・前田隊長「意見陳述」)と、あまりに堂々たる主張でありました。
 おまけに借金の経験がない奴ばかりでしたので、どうしていいかわからず、放っておきましたら、あら大変。当初、4千数百万円だったのが、利子で1億円ばかりに膨らんでしまったのでありました。ま、安いといえば安かったのです。当時、3月26日から出直し開港の5月20日までの営業収支で、確か29億円の損害を与えたと言われていたのでしたから。  3年ほど前に管制塔メンバーに「差押さえ」が始まったとき、わがことのように心配していただき、ただちにカンパに走り出して下さったみなさんがいました。
 またたく間に全額を集めて、国・空港会社に叩きつけることができました。カネを意に反して払わなければならないという、胸糞悪い仕儀でしたが、そのときの支援には心から感謝しております。ありがとうございました。
  というわけで、管制塔グループは全員合わせれば獄暮らし百年を越えているはずですが、いま、市井の片隅でひっそりと(「とは言えんなぁ」という奴もいるのですが)、暮らしております。生協の職員、出版社のえらいさん、フリーライター、製薬会社のプロパー、予備校の人気講師etc というふうです。
  まぁ、どんな連中なのか、長い裁判からの付き合いになった弁護士の先生の言葉を引いておきます。

remol
1978.3.26管制塔占拠 | comments(0) | trackbacks(0)

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