★俺たち、タワー・アタッカー!!★

成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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3・26管制塔占拠・開港阻止闘争勝利! (13)

 その後の赤ヘル部隊の動きも(『1978・3・26 NARITA』 で見てみます。

*銃口を恐れぬ者たち*
 大森●そうしたなかで印象的だったのは、一部の「跳ね上がり分子」の存在ですね。
 佐々木●そういう人たちは、けっこういたわけ。自分の青春なり人生を賭けて3・26の行動に参加した人たちがたくさんいた。
 吉鶴●僕なんか、「死んでもいい」と思っていた。

 大森●整理していうと、全員が整列して「行くぞー!」と喚声をあげ、トラックが先発した。そのあとを部隊が進むが、機動隊はまだ出てこない。東関東自動車道のガード下をくぐると、その先に機動隊がちらちらと見え出した。インターの方が部隊も大きいし、経験もあったのだが、そのとき、インターと先鋒隊との間で話し合いがおこなわれた。「俺たちが先に突っこむ」と言ったら、インターが「どうぞ」と言ったような記憶がある(笑)。
 
 それで突っこんだのだけど、ガードの坂道を上がったところがT字路になっていて、左側に放水車と機動隊の部隊がいた。こちらは火炎瓶を投げ、警察は放水する。そのように一進一退を繰りかえしていたら、機動隊が放水車を先頭にして、われわれに向かってきた。そして、インター、戦旗が合流して、全体でワーッと喚声を上げ、押しかえしたら機動隊が引きはじめた。分離帯の道路がある場所までは、こちらが攻める一方で、分離帯まで来て対峙関係に入った。
 佐々木●躍り上がって、真上から鉄パイプで機動隊に立ち向かっている写真があるね。
 大森●ああ! この写真がそのときのものだ。分離帯の右側がインター、左側が先鋒隊。戦旗派はうしろでジグザグデモをやっていた。「おいおい、今日はちがうんじゃないの」って言ったけど。そのあとはどんどん前に進めた。そのときの写真もあって、なぜかインターの隊列に1人だけで混じって僕が写ってるのがある(笑)。その日、戻ってきて、夜になって熱田さんの家に行ったら、インター現闘のT君が「テレビにばっちり映っていたよ」と言われたが、それがこの場面。
 
 大館●見る人が見れば、誰かを判別できるような鮮明さでテレビに映っていたらしい。
 大森●このとき、インターが持っていたパイプは比較的軽いもので、それに比べると、先鋒隊のパイプは重かった。1回振り下ろすと、2回目は重くて腕が動かない(笑)。
 高橋●あそこの場面はこちら側の完全制圧で、指揮をするなどという局面ではなかった。みんな、それぞれの判断で、楽しそうにやってるなというかんじで。僕は交差点に立って、「やってる、やってる」と眺めていた(笑)。
 
 大館●私の場合、見えたわけではないが、ピストルの音には驚かされた。
 吉鶴●僕たちは、警備本部の建物に突っこんだでしょ。運転手の指示は、「突っこんだら荷台に火をつけて逃げろ」というものだった。運転席からうしろを振りかえると、指示どおり火をつけている。そこで残りの部隊に火炎瓶と鉄パイプを渡して、前に進むよう指示し、僕は最後にトラックを離れた。警備本部のある管理ビルからは、パンパンとピストルの弾が飛んでくる。僕はピストルを構えている警官から一番近い位置にいたから、何人かに狙われているのがわかった。
 
 大森●どのくらいの距離だった?
 吉鶴●20メートルくらいだったかな。警官はわれわれのいる方には出てこられない。柵の向こう側からピストルを発射していた。
 佐々木●「あの銃口は俺を狙っている」というのが実感としてわかるんだよね。
 吉鶴●狙っている警官に火炎瓶を投げたら、撃ち殺されるというかんじはあったね。僕は管理ビルから撤退する最後尾で、走って逃げたとき、福岡県警の3人組にタックルされて逮捕された。その時点で、8ゲート部隊の戦端は開始されたばかりだった。僕を逮捕した福岡県警は、あろうことか、われわれの部隊と機動隊の間に、弾除けとして僕を連れて行った。たしかに「死んでもいい」と覚悟していたけど、味方にやられるのはイヤだなぁと思った(笑)。
 
 大森●警官隊のピストル発射は、写真などで見ると片手撃ちだけど、僕の記憶では両手撃ちだった。ちょっと膠着状態になったあと、楯の前に出てきて、横一列の両手撃ち。でも、撃ちながら震えているのがよくわかった。一瞬、どうしようかと思ったが、意外と冷静だったな。
 吉鶴●あのとき、プロ青でピストルの弾があたった人はいなかったのですか。
 大森●下のコンクリートにあたった跳弾で、足を負傷したメンバーはいたね。
 吉鶴●バイクヘルにあたったり、着ていたヤッケに貫通した痕が残っていた人もいたみたい。
 
 大森●前年の5・8で東山君がやられたときもそうだが、先鋒隊には「お約束」があった。誰かが前に出て両手を広げ、「撃てるものなら撃ってみろ」というパフォーマンスです。5・8のときには、まだバイクヘルを使用していなかったため、催涙弾の直撃で耳が切れたメンバーもいた。そこで僕も、3・26では「撃ってみろ」と前に出たら、最初は上向きに撃っていたのが水平撃ちになり、本当にピストルの弾が自分をめがけて飛んできた(笑)。
 
 大館●ピストルを撃たれても誰もビビらなかったのが不思議だね。
 佐々木●17〜18発撃ったというのを聞いたことがある。
 大門●放送局がテープを聞きなおして、何発発射したと教えてくれたね。
 前田●「あのとき、ピストルにあたって死ぬやつがいなくて本当によかった」と後藤田正晴が述懐したということを、ある新聞記者から聞いたけど、「1人でも殺したら負けだぞ」というのが事前に後藤田が警備本部に指示した内容だったそうです。
  (『1978・3・26 NARITA』より)

このブログはもともと、この本を知ってほしくて、紹介しつつ三里塚闘争を考えてみようと思って開始されたもの。それでも、この8ゲート部隊の闘いの一部を本からそのまま写し取っても、こんなに分量がかさんでしまいます。
でも、昔の闘争に参加した人だけでなく、まったくそれを知らない世代にも読んでほしいと思うのであります。そのまま、長文を写し取っています。

過激派ということばも死語の仲間入りしようとしています。
けれども、私は思うのです。
「死ぬかもしれない」なんぞという気持ちの決め方もありましたが、よく読んでもらえば、いまの人々とどれほど遠いだろうか。

人間は人間。
やることはちょぼちょぼです。誰もがこんな力を発揮する。

問題は、そのような力を発揮させない、運動や組織つくられ方にあるのに違いない。
むろん、同じことをやれ! と、言っているのではありません。
闘いは、やわ、とか過激とか、本質的な違いなどありはしない、ということです。

人間が共感する回路を作り出す闘いこそが、いつの時代も求められているのにちがいありません。

remol

 
1978.3.26管制塔占拠 | comments(0) | trackbacks(0)

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