★俺たち、タワー・アタッカー!!★

成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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3・26管制塔占拠・開港阻止闘争勝利! (6)

14階にはパラボラアンテナが二つありました。一つは私たちが占拠した所沢を向いているもの、もう一つが確か筑波を向いているものではなかったかと記憶しています。
といったところで、当時の私たちの誰もそんなことは認識していません。

二つのパラボラアンテナは、洋上の航空路管制通信を行うためのもので、当然、管制塔ビル14階の別向きの場所にあり、その一つに私たちは陣取ったのでした。
このブログに使ってある写真には写っていない向こう側に、もう一つのバラボラアンテナのあるベランダがあり、そこへは直接には私たちも行けなかったのです。

14階ベランダは10人でも十分にいられるスペースがありました。てんやわんやは、ひとまずすんで、春の風を胸いっぱいに吸い込むことができました。ドアには3人ほどが腰とお尻でしっかり体重をかけて、蓋をしておりました。

ベランダの手すりには、戦鋒隊と戦旗と文字が浮き上がる赤旗が垂らされたのでした。
戦鋒隊というのは、プロ青同が組織していた三里塚闘争の大衆(いちおう)闘争団体
の名称でした。それはインターが組織する青年共闘・学生共闘が(実体は丸裸に近い党派活動家による戦闘集団でも)三里塚闘争を闘う大衆闘争団体として、イチオー位置付けられていたのと、同じようなものであったでしょう。

あの旗は誰が持っていったものでしょうか。たぶん太田だったでしょう。これもいちおう管制室に行くメンバーだったはずですから。
戦旗ははっきりしてました。水野が腹に巻いていたのでした。
警官に追いかけられ、機動隊に脅かされて階段を走り上ってきたとき、それは、下へ下へとずり落ち、走るに走れない実に情けない思いをしたのだったと後に述懐しておりましたから。

インターの旗、なぁ〜し。
前夜、マンホールに入るのに失敗したメンバーが所持していたのです。
はい、いつも毎度のことなのかもしれません。決定的なドジ。
いいねぇ、伝統だもの。

ベランダから右遠方を望むと、横堀要塞が見えました。こちらは満艦飾。赤く美しいたくさんの旗と、横断幕に飾られておりました。

そして……、あの赤ヘルメットの大部隊が姿を現したのでした。
来た、来た、来た。

前田が音頭をとり始めました。しゅぴれひコール!
「開港を阻止するぞ」「空港・突入・占拠するぞ」「管制塔を占拠したぞ!」
手すりをガンガン鉄パイプでぶつ奴、空に向かい、赤い隊列に向かい叫ぶ奴、なかなか気持ちの瞬間でした。

やがて、先頭でパイプを振りながら、リードしていた前田は、くるりとこちらを向くや
「俺達はここにカンパにアに来たんじゃない。どんなことをしてでも管制室に行くぞ。ぶっ壊すんだ!」と叫びました。

あの青い目が、またまた色を変えて、必死に道を探せと言うのでした。

remol
1978.3.26管制塔占拠 | comments(0) | trackbacks(0)

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