★俺たち、タワー・アタッカー!!★

成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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3・26管制塔占拠・開港阻止闘争勝利! (4)

管理棟1階に残ってエレベータ前に対峙線を張った5人は、なかなかの奮闘でした。
警備本部が解体しているのだから、制服のおまわりさん達もどこかへ逃げればいいにと思いますが、彼らの中にも責任感の強い人たちがいたようです。

恐らく、管制塔組が排水溝から出たとき、拳銃を抜きながらやってきた警官もその中にいたでしょう。たぶん、彼らが午後1時に平田が排水溝の中で聞いた、頭上を通りすぎていった声の主だと思います。通りすぎていった方向からやってきたのですから。
ただし、あののんびりした調子から察するに、9ゲートからのトラック2台とは、管理棟前では遭遇していないはずです。もし、管理棟前にいたら、排水溝のほうへは来ていないのではないでしょうか。

9ゲート組は、パトカーを追尾しながら、拳銃で撃たれつつ空港へ突入したといいます。土門や児島の兄などは、撃たれるたびに首をすくめながらパトカーの後を追走したそうです。「いきなり」の出現には警官、機動隊もまず逃げます。三里塚のようなところならなおさらです。それに、短銃というやつも距離があったり、的が動いていたりしたら、まず当たりません。

最初の一撃で恐慌をきたした警備陣は、統制なんて望むべくもありませんでした。
管制塔組が警官に発見されて、ブツを手に手にもとうとしていたとき、その警官の背後50mくらいのところに機動隊が右から左へと現れ、その中の何人かはこちらの様子に気づいて、あきらかにとまどったそぶりをみせました。
しかし、来なかったのです。命令を受けている人達、部隊で動いているものは、先を急いでいるようでした。混乱とはこうしたものです。

でも、もし彼らがやってきて警官の勢いがついたとしても、結果は同じだったでしょう。
またプロ青の津田あたりが拳銃の前に両手をおっ広げて「撃てるもんなら、撃ってみろ!」と叫んでいたに違いありません。
むろん、前田は彼をほっといて先を急がせていただくのでありましょう。

1階で、このお定まりのパフォーマンスが行われました。
焔ビンが投げられ、向こうからは消火器が飛んでき、えらい太い丸太でぶんなぐられたそうです。
パフォーマンスの主の津田は、身柄を確保されたのちに、ヘルメットに消火器を叩きつけられ、はめられた手錠で引きづり回されて、手首を骨折します。
1階組はぞんぶんにやられたわけです。

エレベータに乗った10人は、一気に7階(たぶん)へと上りました。先に上がった前田組5人はおそらくここから階段を駆け上があっているはずです。
管理棟は7階建て。そのそこからタワーが聳えているのでした。

中川ら後発組はうまくエレベータを乗り換えて、前田組を追い越して13階へと至ります。
まだ、壁塗りの職人さんが仕事をしておられました。
ほらほら拙速で開港しようなんてするから、まだできてないじゃん。
職人さんは、そこに自らがいないかのように、ただ壁を向いて突っ立っていました。
立ったまま、いて、いない。ほかにやりようがないのです。
その背後を赤ヘルの5人が疾駆して、階段を駆け上ったのです。

13階より上は行けませんでした。14階は堅くどのドアも締まり、階段を上れません。
ただ、あとで分かったのですが、14階の一室の機械が、洋上管制のためのマイクロ通信施設でした。
ぼんやりやってきた中路が、ハンマーでぶったたきます。
たぶん、これで壊れていたはずです。
中川のおっさんは、やらずもがな、中路が立ち去ったあとにやってきて、焔ビンを放りこみます。真っ黒、煙ばっかり。

煙でむせているところへ、遅れた前田達が足音高く駆け上がってきました。
赤ヘルでよかったです。先の5人は「機動隊が来た」と思いました。
下手すりゃ、機動隊と間違えて、焔ビンをお見舞いするところでした。

remol


1978.3.26管制塔占拠 | comments(0) | trackbacks(0)

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