★俺たち、タワー・アタッカー!!★

成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | -
<< 横堀要塞40時間の激闘(7) | main | 31年目の事故 >>

鉄塔引っ付き戦士異聞(1)

2月横堀要塞戦は3月開港阻止闘争に大きな影響を与えました。よく2月要塞戦が3・26管制塔占拠の勝利の道を切り開いたと言われましたが、確かに、ここまで警備側がてこずり、鉄塔ひっつき虫たちに愚弄されていなければ、3月に機動隊の精鋭をまた、差し向けて空港警備を「お留守」にする事態は起きなかったでしょう。

この事情は、3・26闘争についてまたあらためて書くことにして、今日は彼らとの「思いがけぬ再会」のエピソードを。

まぁ、長いといえばいえるお務めを果たして、私はバイク乗りになって遊んでおりました。3・26から10年以上たっておりました。
(東映映画みたいでありますが、自分にとって帰るべき組織もなく、インターの鉄塔ひっつき虫たちもまた「足を洗っていた」ようです)。

九州の湯布院に差し掛かり、さぁ、露天風呂にでもはいるべと、金鱗湖によったところでした。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、湖に接して地元の方たちが守ってきた素朴な萱葺きの混浴風呂があるのです。
まだ、そんなに知られてはいない時代だったので、現在の喧騒とはだいぶ違う雰囲気でした。

バイクを止めようとしたら、降りやまぬ雨の中、私のより倍もあるバイクの取り廻しに苦労する妙齢の女性が。「はいはい、お手伝いしますとも」と代わってあげたら、彼女も風呂に入りに来たとおっしゃる。と、いうわけでご一緒したのでありました。

大阪は玉造のユリちゃん(仮名)でありました。色あくまで白く、肢体伸びやかにして、かつ、ろうたけた彼女と、ゆるりとご一緒したのでした。
「(隣の男の子が)激っ!」と、私のほうを振り向いて、こぶしと腕を立ち上げて、カンラカラカラと笑うのでありました。看護婦さんとかで、まぁ、見なれていたのでありましょうか。

自分からわが身の経歴を話すわけはありませんから、たぶん、彼女が「友人で三里塚で逮捕された人がいる」と言ったのでしょう。話を聞いているうちに、私は「あ、あ、あ、アトム!」と叫んでいたのでした。
アトムは関西のお仲間で、現闘員として三里塚にいて、要塞戦の時に鉄塔に登った一人だったのです。ユリちゃんはアトムの連れ合いの同僚でした。
女二人は、医療現場でがんばっている「戦友」のようでありました。

その後、数ヶ月後にユリちゃんのアパートで、アトムと再会しました。
あいかわらずニコニコと、ちっとも変わらぬ彼でありました。
「彼女と籍を入れずにやってるわ。子供が生まれて出生届を出しにいってやな。『わしが言うとんのやから間違いない、わしの子やて』って、役所にかけあってる」と、また笑うのでした。籍が入ってないと、養子縁組か認知でしか、親にはなれん。
「でも、わしの子や!」。
アトム、また権威をからかっとる。
機動隊をよくからかっていたアトムに、昔の話をしたら
「(やってくる支援の)みんなをリラックスさせたくてなぁ」と言うのでありました。

アトムの子供ももう20才くらいでしょうか。
組織を離れても、何だかんだ、自分の生き方は変えないという奴らばかり。
どこかでつながっている大事な仲間。



1978.2.6二月要塞戦 | comments(7) | trackbacks(0)

スポンサーサイト

- | - | -

この記事に対するコメント

そうか…わたしは学生に戻って,何やってんだろうか…と思いながら過ごしていたけれど,アトム君はいち早く,ガードマンだったかなんかの仕事を始めたんだ,と当時言っていたっけ。

めがねの奥の目がさわやかで,顎ががっちりしたいい顔した関西人だったな〜
イレギュラーず | 2009/03/17 10:19 PM
インター系被告
Min,Shio,shim,Mats,Kuch,Wata,Kawa,Toyo,Oka,tama(故:全港湾?),Koji,Ogw(如月),Toshi,Kam,Ara,Kunis,Mour,Ootn,吉川,Mochi,Kosh,Karb…
イレギュラーず | 2009/03/18 12:39 AM
イレギュラーずさん
 よく22名もの被告の名前を覚えているな!
 Tamaは亡くなったのか。いつごろ?
 
 ”横堀要塞40時間の激闘(1)〜(7)”まで拝見したが、 外からの記述が多いな!
 要塞内の様子をもっといつかは語りたいと思いつつ
 50歳も半ばを過ぎてしまった。

 一番焦ったのは、パクられる直前に屋上の穴(出入
 口)から機動隊が催涙弾を乱射したとき。
 シュルシュル飛び散る火の粉が1階のガソリン満タン
 のドラム缶に引火したら全員焼死だったな。
 今でも夢を見るときがある。

 消防団が火炎瓶を沢山投げたのもいいシャレだと
 思っている。パクられてから右肩が1週間ぐらい痛
 かったのも今は懐かしい、、。 
元横堀消防団 | 2009/03/22 12:43 AM
>Tamaは亡くなったのか。いつごろ?

人づてに聞きました。しかし,遠い記憶のような気もするし,管制塔一億円カンパ運動の最中だったような気もする。

>一番焦ったのは、パクられる直前に屋上の穴(出入
 口)から機動隊が催涙弾を乱射したとき。
 シュルシュル飛び散る火の粉が1階のガソリン満タン
 のドラム缶に引火したら全員焼死だったな。

それと,2階部分に発射されたものに,「息苦しくなるような煙を発生させた」のものはなかったかな?妙に涙目になった記憶がない。
イレギュラーず | 2009/03/22 1:21 PM
火付けの消防団員さま
> ”横堀要塞40時間の激闘(1)〜(7)”まで拝見したが、 外からの記述が多いな!

んだよ。あの時、俺はただの応援団。
とはいえ、一応、機動隊のお兄さん達に、1、2本は横堀街道で投げておりました。
2月要塞の戦士諸君は、中の様子を正確にかたるべし。
はよ、せんと、3・26の記述へ移っちゃうぜ。

イレギュラーずさん
みんな元気でいてほしいと思うけど、私のところへも重い病の要塞組メンバーの話が届いています。
一緒に仕事(シャバのまじめなお仕事)をしたこともあったので、言葉をうしなっておりました。
remol | 2009/03/23 6:17 PM
横堀街道での外周戦は、都合4ラウンドあったように思います。

4回目は野戦だった。
機動隊の阻止戦にヒットエンドランの攻撃をして、
県警ヘリのサーチライトに追われながら山林を走って撤収する時に、カサカサいう音に気付いた。
放水を浴びた赤ヤッケ、タオル、ジーパン、夜の冷気で全身が凍り付いていたんですね。
要塞の中にいた連中のことを思ったよ。

2ラウンド目だったか、3ラウンド目だったか、指揮者2名を含む3人が逮捕された。
その内の一人、東京北部の専従だったキタロー氏が、本来、管制塔の隊長だったということを後で知りました。

キタローさんも、数年前に亡くなりましたね。
歳月を感じます。

亀コメントで失礼しました。
瓜月 | 2009/10/13 1:14 AM
馬鹿じゃね?

あきれた | 2013/07/18 3:15 AM
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://narita1978.jugem.jp/trackback/27
この記事に対するトラックバック