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成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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横堀要塞40時間の激闘(7)

反対同盟旗に包まれて放水に耐える、鉄塔ひっつき虫style="float:right;" class="pict" />

 2月要塞戦は大きな反響を呼び起こしました。新聞は「まるで不死鳥」と見出しをつけて、鉄塔にしがみ付いて放水に耐える仲間の姿を大きく報じました。リアルタイムで放送したらしいTVの映像に釘付けになった人々も多かったようです。わが母も「4人を死なせなかった反対同盟の勇気に感銘を受けた」と後に語っておりました。
さて、『1978・3・26 NARITA』で、現地の常駐者は次のように振り返っています。

*2月要塞戦から3・26へ*(『1978・3・26 NARITA』)
 前田●ところで、3・26の準備っていうのは、具体的にはいつごろはじめたの?
 早野●3・26の準備? 聞かない方がいいと思うよ。「前日」って言ったら、怒る?
 前田●ああ、そうなの。いいことじゃん、それは。
 早野●あのね、たとえば、こういうことがある。言える範囲でいうね。2月7日、8日(ママ)の2月要塞闘争。あれは非常にきれいな闘争だったと、俺は思うんだよね。こっちが鉄塔建ててるのを、むこうは不意打ちで要塞を壊そうとしたんだけど、「本当に襲いそうだ」っていう連絡が入ったのが半日前。全国に招集かけても、もう間に合わない。現闘で闘うしかない。闘えるはずがない。とりあえず要塞に立て籠もって、頑張れるだけ頑張ろう、と。まぁ2時間かなあ、みたいな。だけど、そのとき、俺たちは火炎瓶3000本を準備した。数はあとで知ったんだけど、警察発表で(笑)。
 
前田●ビンはどうしたの?
 早野●酒屋に行って、いただいてきました。
 前田●あぁ〜。ガソリンは?
 早野●ガソリンは近くのガソリンスタンドにあらかじめ言っておいた。ビンのほうは、ずーっとあとで、謝りに行った記憶があるんだけど、近所の酒屋だと反対運動の支援者だったりするんで、20キロとか離れたところの酒屋。いざというときにかっぱらうために、前もって調べてあった。で、ユンボでドラム缶ごと吊り上げて、それを空き瓶に入れていったんだ。
 前田●うそだろ〜、恐ろしい。
 早野●だから、むこうは急に襲ったのに、入ってみたら、なかにものすごい量の武器があって、驚いたと思うよ。しかも、むこうは何千人の機動隊が横堀要塞を囲みつつある状態で、そこはサーチライトで照らしだされててるわけよ。上にもかなりの数のヘリコプターが飛んでいた。そんななか、冬のドロドロの道を、こっちの現闘が延々と検問をすりぬけて裏道を通って運びこむんだ。
 前田●はぁ〜。

 早野●5月8日の夕日のなかでおこなわれた労農合宿所前での総括集会での、加瀬勉さんの「東山君に捧げるアジテーション」は特筆すべきものがあった。
 そのあと、3・26にむかう過程において、まぁ、ちいさなゲリラをたくさん積み重ねていったけど、誰にも言えない、キリキリとした雰囲気のなかで、本当にやらなきゃいけないっていう気持ちがつくられていく。で、決定的なのは、やっぱり横堀要塞戦だと思うね。
 前田●2月要塞ね。
 早野●そう。つまり、2月要塞が、表向きは3・26のかたちをつくる大きな転換期になるんだけど、でも本当の意味での転換は、その2月要塞をやると決めた反対同盟の気持ちなんだよ。
 要塞建設は、最初は第四インターの団結小屋のところにはじまるんだよ。それが、2期工区の敷地内にひっかかるということで、むこうが最初から強烈にいやがらせをしてきた。そのあとの2月要塞の場所が敷地内からはずれていて、Sさんの土地なので、あまり文句もいってこないだろうと。それで、要するにシンボルを建てようということで、つくられていったわけ。
 
 2月要塞を闘って、警察っていうのはつくづく愚かだなと思ったのは、放っておけば、2月要塞なんてのはただの建物で、なんの意味も問題もないはずなのに、目障りだからって、壊しにくることによって、自分で大きくしちゃうんだよね。それが、2月の6日、7日の2月要塞決戦というのをつくることになるわけなんだけど、むこうがそれをやってきたことによって、それまでシンボルとしてあった要塞が、いきなり闘争の場所に、むこうが仕立ててくれるわけよ。で、こっちも必然的に、あそこが闘争の場だというふうになっていくわけ。
 
それで、なかに入ったやつが全員逮捕されることを覚悟してたわけだけど、あんなに長く戦えるとは誰も思ってなかった。だけど、なかの連中と、たまたまうまく鉄塔を鉄骨の上に建てて、機動隊が近寄れなかった。それから鉄塔のなかに残った4人が、Oを筆頭に冷静だったというのがあって、2日間という長時間になった。
 そして4人の姿が、48時間、まる2日間、全テレビ局で一斉に放送された。機動隊ががっちり囲んで、過激派と呼ばれる若者4人が、ただただ鉄塔にしがみついて、一日中、放水をあびている映像が。夜中は氷点下の世界だよ。延々と水をかけられてる映像が48時間流された。それで、「かわいそうだ〜」「がんばれ〜」という声が全国からあがるわけだね。あれが2時間で終わっていたら、3・26の気分はあそこまで高揚していなかったかもしれない。
 
前田●早野はどこにいたの?
 早野●反対同盟といっしょに、俺はコタツでその様子をテレビで見てた。俺らが無線で「元気だったら、手〜ふれ〜」っていうと、手ふるんだよ。そうすると、まだ大丈夫だとなって。周りでは、反対同盟のお母ちゃんらが、青年行動隊(青行)の幹部連中を囲んで、「もう降ろしてやれ、死ぬから、降ろせ」って、ワンワン泣いてるんだよ。で、「手〜ふれ〜」って言うと、手ふるから、まだ大丈夫だとなって、朝をむかえたわけ。
 4人はメシも食ってないし、一晩中、寝てない。機動隊が来るってわかってたから、徹夜で準備したので、たぶん寝ないでそのまま闘争に入ったと思うんだよね。朝になったら、ぽかぽか、気持ちいい朝になったんだよ。で、「元気だったら手〜ふれ〜」って。手ふったから、日中は大丈夫だ、みたいになってさ。日が昇ってくると、全国からちらほらと集まりはじめるんだよ。前田なんかも駆けつけるわけどさ。

みんなで、「がんばれ〜、がんばれ〜」って言うことしかできないけど。それしかできないけれども、放水をあびて凍ったつららを垂れさげて、4人が鉄塔にしがみついてるのを、ずうっと見てるわけだよ。それはね、同じものを共有していくんだよ、気持ちの部分で。そのときのおっかぁらがそうだけど、「かわいそうだから降ろせ」っていう気持ちが、今度は機動隊に向いていくんだよ。「おまえら、あれ見て、どう思うんだ。死んだらどうするんだ。まだ放水する気か!」って。で、「あいつらといっしょに闘わなきゃ」っていう気持ちが、現場にいたやつも、テレビを見たやつも、全体でつくられていくわけよ。
 
48時間経って、Mが本当にまいっちゃって、腹痛をおこしたときに、「1人降ろしたいんだけど」と機動隊に伝えると、「全員が降りてこなければ引きとらない」って言われて、そこで全員が降りてきて幕引きになった。Mは、思いのほか元気だったんだけどね。
 
 正直にいうね。3・26の闘いを全体的にとらえると、ここがクライマックスだったと思ってる。これ以上のことはできない。本当にいろいろ偶然が重なったんだけれども、本当に気持ちに訴える闘争っていうのは、俺自身、高校を卒業してから新左翼運動に入って、現闘をやめるまで、あれほど心に訴える闘争は見たことがない。みんなが泣く闘争だったな。

remol
1978.2.6二月要塞戦 | comments(3) | trackbacks(0)

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この記事に対するコメント

言っていいものかどうか?でも,もう30年経ってるし,30年といえば時効かな?とも思うので(勝手に),少し言ってみますか〜?

2月要塞戦で最初に急襲されたとき,要塞東側の足場および梯子の攻防があったが,そこでも機動隊の頭上に落とした頭大の「石」。この石…

敵の動きがあわただしくなり,要塞が攻撃されるとの情報があってから,急遽「石」を手配に走り回ったのではなかったかな〜。

調達先は,緊急性もあり,朝倉からそう遠くはなかったと思う。トラック荷台に何人かで乗って。そこは家がたくさんあり,道路際に「石」がうずたかく積んであり,それを夜陰に乗じて「お借り」した。しかし,…アクシデントが!

「親父〜!」という件の家人の声に,「すみません〜」という現闘Sの小さな一声のあと,エンジンを掛け,脱兎のごとく,一目散に現場を離れ,その後は,頭に普段から地図を入れていたわたしですら,トラックがどこをどう走って居るのか?あるいは潜んで居るのか?という状況になった。
イレギュラーず | 2009/03/09 4:30 PM
こら! ドロボー!

ムショに行ってたら、窃盗は「ウカンムリ」って、ヤクザどもにバカにされ、抑圧されてたところだ(笑)

って、でも、現闘が後で代金持って、あやまりに行ってますよ。

緊急避難的行為として、許してもらいましょう。
今一度、私からもお詫び申し上げます。
「うちの若い衆がいけないことをいたしまして、ごめんなさい」

周囲には名前を明かさない協力者も、たくさんいらっしゃいました。
remol | 2009/03/09 5:55 PM
>現闘が後で代金持って、あやまりに行ってますよ。

それは良かった,当然ですね。「徴発」は原則的には,だめです。

でも…ということは,「緊急避難」で突然「ご協力頂いた」方々は,事前にチェックされていたのですね?
イレギュラーず | 2009/03/14 11:26 PM
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