★俺たち、タワー・アタッカー!!★

成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
<< October 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | -
<< 横堀要塞40時間の激闘(4) | main | 横堀要塞40時間の激闘(6) >>

横堀要塞40時間の激闘(5)

午後10時、放水とガス弾の乱射のなか、クレーン車のアームが要塞3階部分の防御板を破ります。穴は横に広げられ、鉄骨が剥き出しになります。
機動隊はそこに梯子をかけて決死の登攀。投光器の光のなかに、催涙弾を浴びながら、梯子を外そうとし、焔ビンを投げ、抵抗しつづける篭城組の姿が浮かび上がります。
要塞内の火炎瓶に引火した炎が火柱が。

20分後、機動隊はついに3階部分に侵入。水と催涙弾のカクテル液にずぶずぶになりながら肉弾戦。ボコボコ…ボコボコ、ま、やられます。
引きずられたり、ヤッケを引き千切られたり、けが人多数。
いいんだよ、十分やったんだからボロキレになっても、しっかり誇りをもって、連行されていけば。

ここでの逮捕者、反対同盟6人を含めて45人。
彼らが乗せられたカマボコに、おっ母さんたちがとりすがる。

だがぁ、まだ鉄塔の上に、4人が残った!
ここからほぼ24時間、零下7度の夜の寒風、放水、飛んでくるガス弾を受けながら、4人は頑張りぬくのです。

北総の闇の中に投光器に照らされた鉄塔がそびえ、その闇を通して、彼らが鉄塔を鉄パイプで打つ音が、カン、カン、カン…と響いてきます。
生きている証。
夜がふけていくのに、次々に反対同盟や支援が阻止線の外側に集まってきます。
彼らは、谷に降り、あぜ道を踏んで、四つんばいになって高台の林を這い登って、やってくるのでした。

そう、トロツキーが『ロシア革命史』でかつて書いたではありませんか。コサック兵の馬の腹の下を通って進む労働者の姿を。「革命は道を選ばない!」
ここは、農民の大地であり、機動隊は侵略者。地を知り大義をもつのは三里塚農民。
鉄塔のてっぺんには、インター現闘員の大島。

*横堀要塞*(『1978・3・26 NARITA』)
 柘植●まず、2月6日からの2月要塞戦についてですが、このときは、お二人はどこにいたのですか?
 林●学生に動員がかかっていたので、私も関東の学生と一緒に現地に入っていました。
 鉄兵●僕は学生現闘だったのでその前からずっと現地にいました。決戦前の準備のため、2月5日の夜から朝まで夜通しで投石用の石をとりに行ったり、火炎ビン用のビンを盗みにいったりしましたね。確かジャリは間に合わなかったと思います。
 柘植●この2日間は、主に大島くんたちが闘ったわけだけど、2人は現場で彼の勇姿を見ていたわけですね。
 鉄兵●とにかく寒い夜だったよね。鉄塔の上には僕の友だちが2人、大島といっしょにのぼっていました。大島はハデにやっているな、と思いましたね(笑)。
 柘植●あいつはいつも歌舞伎がかっているから(笑)。
 位置を確認すると、まず要塞があって、三の宮さんの畑があって、谷津田があって、それを越えたところに戦旗派の小屋があった。機動隊の阻止線は畑の真ん中あたりだったかな。外のみんなは、畑で焚火をたいて声援を送っていた。2月6日の夜には、戦旗の小屋あたりに宣伝カーを置いて、インターナショナルを歌ったり、「眠っちゃダメだ」と呼びかけたりして、要塞メンバーを激励した。眠ったら、凍死しちゃうからね。岩沢さんもスピーカーを通して「がんばれ、がんばれ」と応援したんだよ。そうしたら鉄塔の方から、ガン、ガン、ガンと音が響いてきてね。鉄パイプで応えてきたんだ。それで「ああ、生きている」と――そういう感じだった。中核派が3月要塞戦で、外から宣伝カーで同じことをやったんだけど、あれはまったくさえなかったな。
(『1978・3・26 NARITA』より)

鉄塔にしがみついて、支援者が焚く火に向けて、音で闇夜を裂く鉄パイプ。三里塚3月開港阻止決戦へむけての命がけの打鐘棒でした。

remol

(イレギュラーず さん。よかったら、横堀要塞40時間の激闘(3)のコメント、007さんに応えてあげていただけませんか。わたしより、ずっとあなたのほうがふさわしい。きっと、この2月要塞戦もそうなのに違いない。痛い目もみていないのに、知ったふうな現場の様子を書いて、すまんこってす)
1978.2.6二月要塞戦 | comments(6) | trackbacks(0)

スポンサーサイト

- | - | -

この記事に対するコメント

remolさん。そんなことはないです。記憶というものはやっかいなものです。

激闘(3)でおっしゃった要塞概要なんて,下々の建設支援隊には分かりかねます(^^;

だって,こういう設計図ですなんて出せるわけがないじゃないですか?公団じゃあるまいし。

ただ,要塞建設が決まって,各地区ら建設隊が現地に入りますが,わたしは,わが地区の建設隊要員が到着するまでのつなぎで現地に居たり,帰って,また来たりという位置にいました。

横堀要塞は,最終的に横風用滑走路予定地内にあった(と思う)インター横堀現闘小屋から,香取新田の2500mの端っこに転戦したのでした。理屈は,共用も開始されていないし,また滑走路自身もなかったところに建ててなにが悪いというところです。が!ね〜

大きさの概要はremolさんが書いていた通りじゃないですか?それ自身はどうでもいいことです。
イレギュラーず | 2009/02/27 7:28 PM
ワルシャワ労働歌を初めて聞いたとき、要塞戦の歌かと思いました。
MOLE | 2009/02/28 8:20 PM
確かに。ワルシャワの『砦の上に我等が世界、築き固めよ勇ましく』の下りはまさに横掘要塞戦そのものですね。
愛知の一学生 | 2009/03/01 12:00 AM
わたしも、「ワル労」が大好きですよ。
ひょっとしたら、いちばん好きかも。

確かに、横堀要塞戦にぴったりの歌ですね。
イタリア・パルチザンの「さらば恋人よ」のほうを思い出す、という仲間もおります。

ついでに言うと、三里塚で遠い昔にロケした「襤褸の旗」という映画では、谷中村の人々と警官隊の衝突シーンで「ワル労を歌いながらやれ〜」と、監督に指示されたのだと、悪役出演の前田が言っておりました。
remol | 2009/03/01 2:38 AM
要塞上で,歌った歌は…

「ふるさと」でした。

♪ウサギ追いし あの山〜
小鮒 釣りし かの川〜
夢は今も巡りて 忘れがたき ふるさと
イレギュラーず | 2009/03/02 11:56 PM
不確かな記憶ですが…。

後に東峰に三里塚物産を開いて、ラッキョウの蹴転がし漬をつくっていた佐山さんが、代執行のとき、立ち木の上にいてそのまま倒されたとき、「ふるさと」を歌っていたのではないでしょうか。

三里塚には「ふるさと」も似合います。
要塞で、その歌を歌っていたみんなも、好き!
remol | 2009/03/09 12:12 PM
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://narita1978.jugem.jp/trackback/24
この記事に対するトラックバック