★俺たち、タワー・アタッカー!!★

成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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横堀要塞40時間の激闘(4)

6日午後4時過ぎ、要塞近くに取り付いた機動隊が、催涙ガスを乱射し始めます。またまたクレーン車を近づけようと、図ったのでありました。
すでに放水車もクレーン車も、火炎瓶を落とされて炎上、後退して消化液まみれになっていたのでした。ガス弾の援護射撃も、「チェックメイトキング2、マル対の抵抗が激しく持ちこたえられません」てな具合でした。

戦争ごっこで学んだ「コンバット」のようにうまくいくかぁ〜! 
で、クレーン車に3発の焔ビンが着弾、炎上。またまたクレーン車は後退なのです。

三里塚の大地に日は落ちて、ついに夜戦に突入したのでありました。
何台もの投光器の光に照らし出されて、要塞はますます堅牢に居座り、地上30mの鉄塔はいよいよりりしい姿でそびえるのでした。

火炎瓶よけの金網トンネルが持ち出され、そこを通って機動隊の射手。えらいぞ、いい根性だ。鉄塔にガス弾が当たって跳ね返る音が、遠く離れて見守っている支援者の耳に連続的に響いてくる。
でも、焔ビンはまた落っことしちゃうもんね。

超高圧の放水と、息も出来ぬはずの催涙ガスの乱射の中で、あらゆるものが投げつけられ、ついにはガソリンが上からまかれて、焔ビンで火がつけられます。
要塞の外壁一面がぐわぁと炎に包まれたのでした。放水でも炎は衰えません。
こうして、また、機動隊とクレーン車はすごすごと撤退。

夜8時、ついに機動隊の指揮官車がマイクで要塞に呼びかける。
「これ以上、立て篭もっているのは君たち自身が非常に危険になります。ただちに出てきなさい」
これは警告ではありませんね。確かに命ぎりぎりのところに篭城組はいたのだが、むしろ、この呼びかけは機動隊の悲鳴でありました。
「悲鳴」がもっと深刻になっていくのは、これからなのであります。

(と、ここまで書いたところで、『1978・3・26 NARITA』を編集してくれた結書房のOさんが隣にきてくれました。久しぶりに一献傾けつつ…というわけで、本日これまで。いよいよクライマックスに至る次回を待て! って、いまさらそんな大層なもんかですが、『1978・3・26 NARITA』をまだ読んでいない方は買ってくださいね)

remol
1978.2.6二月要塞戦 | comments(3) | trackbacks(0)

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この記事に対するコメント

敵の攻撃が一段落したところで,鉄塔組が降りてきて,これから東大闘争時のように「籠がくるぞ」と言っていた(大島君でしたが)。

その通りだったが,横堀街道側の進入は許していない。なんせ,土嚢をのければ入れるのだった。

しかし,食糧はなかった…冷えて固まったた肉まんを数人で食ったのみ。反対同盟の方々は,コンパネで水を避けながらも,2階など「安全な」所には断固としていなかった。ただし,「飲み過ぎ」のかたもいたけれど,イッツ・オーライトですね。

そのあたりが三月要塞と違うところ。
イレギュラーず | 2009/02/25 10:15 PM
うん、食料がないというのは、いつもいつもおいら達の伝統でしたね。
管制塔部隊もマンホールに食い物を入れそこなって腹ぺこ。何でも、タワリッシ小泉は、プロ青の中川のおっさんに「うまい豚のビフテキ(いいでしょ。この貧しい表現)をもらって食って、それ以来、俺のボスはインターの誰より、ずっと中川さん。犬っころみたいなもんだ。食いモンで決まるんだ、わはは」
と、革命的言辞を吐いていました。
remol | 2009/02/26 6:37 PM
昨晩、戯れに「2月要塞戦」で検索して辿りつきました。成田2029号です。
51歳になりました。いろいろあったのは皆様同様ですが、2点だけ声を大にして言いたい。
2月要塞戦の鳥かごは、事前に無線で情報がはいりました。O島団長が、東大安田講堂を落としたヤツだと言いました。火炎瓶が効かない。んなら、上からガソリンまいて瓶で燃しちゃいましょ!と意見具申したのは、私です。えっへん。
一階の守備隊で、下でずっと寝てたんだけどちょっと屋上の応援に行ったのよ。
一階の最後のクチゲバ攻防戦のあと、二階に上がったら袋のネズミで機動隊がガス弾打ち込んで、火花が飛び散って、嗚呼、ここで焼き殺されるんだって観念しました。気化したガソリン充満してたし。
あと、ラヂオ放送で、3.26当日。「過激派が空港に乱入し」プツンッと「過激派が管制塔にを占拠し」プツンッのあと、8舎では地鳴りのような、なんとも形容のしようのないうめき声と壁を叩く音が響きわたりました。あの日以上の、魂の揺さぶりはきっと死ぬまでないのかな。

以上、建設隊最年少、茨城のゴトウでした。
車輌科連隊ゴトウ | 2009/10/31 8:12 PM
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