★俺たち、タワー・アタッカー!!★

成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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横堀要塞40時間の激闘(3)

機動隊の急襲を受けたとき、要塞は完成していませんでした。
3階部分に板枠の防具をめぐらし、旗を飾り付けてあったと記憶します。
篭った支援者は、要塞建設隊の学生や団結小屋の常駐者でした。当日にたまたま現地入りしていた者もいたはずです。
かろうじて機動隊の突撃を跳ね返して、中に篭ったのですから、支援者の方はあらかじめ人選されて準備されていたとは思えません。

それにしてはよく闘ったのです。火炎瓶や石が量的に十分に用意されたことが、抵抗を強くしました。さらに、相変わらず、機動隊はドジだったのです。
要塞が未完成のうちにとにかく破壊しなければならないとあせっていたのだと思います。

切磋琢磨してこそ、好勝負ができるのでありましょう(マルキとの切磋琢磨にまるで興味のない「最大支援党派」も前述のごとくありましたが)、わが警視庁の誇るレインジャー部隊まで投入して攻撃に移った割には、ちょっと情けない泥縄攻撃だったのです。
こういった間抜け振りは、3月の開港阻止決戦にも、実はいかんなく発揮されるのでありますが。

反対同盟は実に反対同盟らしく闘っていました。母さんたちが、阻止線を張る機動隊の盾をゆすっては、「おっとうに弁当をもってきただよ。自分たちの土地に入っていくのに、なんでおめえたちは、じゃましてんだ」と食い下がります。

要塞攻撃の機動隊は、どひゃああ、と寄せては、ボコボコとブツを放られて、撤退の繰り返し。
要塞に向かって放水を繰り返すうちに、下はどろどろのぬかるみと化し、「ああ、北総のジョシュウよいか住みよいか、こりゃこりゃ」なのでした。
ドでかい重機は身動きならず、それでもやりようがないから、時間はかかる。

機動隊は頭上を盾で覆って動き回り、それが射程距離に入れば、「てっ〜!!」とビンやら鉄材やら石やらを放つのでありました。
実際、高いところから機動隊のあの姿をみると、コックローチそっくりなのですよ。
「合成洗剤!」と思わず、叫びたくなる。ま、洗剤より火のほうが威力はあるわな。

何度かの機動隊の総攻撃は、そのたびにこうして跳ね返されていました。
一方、空港周辺でヒットアンドアウェイが起こり始めます。
検問所、ゲート前にトラックに満載された赤ヘル部隊が乗りつけ、攻撃を加えていたのです。

機動隊が要塞への進入路を確保したのは午後も遅くなってでした。
ここから本格的な放水が始まります。高さ20メートルのゴンドラを備えた高圧放水車など、十台の放水車が要塞に接近して、猛烈な放水を開始しました。

要塞が水煙にかすんで見えなくなるという凄まじさ。
けれど、また、この放水のさなかに鉄梯子で近づく機動隊に、火炎瓶や鉄片、石などを投げつけて抵抗する篭城組の姿が、水煙の霞みがたなびく向こうに垣間見えるのでした。

横堀街道でも、機動隊へ向かって、突撃が行われていました。
焔ビンと鉄パイプで阻止戦を崩しにいく行動です。

ここで3人の逮捕者。実は3月の管制塔占拠の隊長に抜擢されていた男が、その中にはいたのでありました。
代わりに8ゲート大隊の指揮者から管制塔攻略部隊へと移る前田くん。
ああ、不運なのか運がいいのか、我らがデバラ・前田隊長。

remol




1978.2.6二月要塞戦 | comments(5) | trackbacks(0)

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この記事に対するコメント

要塞はどのようなものになる予定だったのでしょうか?
007 | 2009/02/21 11:45 PM
「我らがデバラ・前田隊長」はいかにも申し訳ない

前田さんは、やはり当時「あこがれ」の活動家だった
男の自分が言うのもおかしいが
若い頃のアランドロンを彷彿とする男前で
透き通るような青い目が印象的だった
ときに詰め襟の学生服で現れたりして、
管制塔関連の書籍に縷々書かれているように
ひょうきんではあったが、やはり一番純粋だったと思う
当時、我が派は少数ではあったが
指導部からシンパまで、みな個性的で人間性豊かだった

社の二階で赤旗の前に座っていた
雲の上の人たち

R大の指導部だった彼は、帰省中にあっちの世界に行ってしまったが、
よれよれのトレンチコートが似合っていて、
鬚の中でにやっと笑う顔が好きだった

最大党派から我が派に若くして獲得され
関西からやってきた同志は
理知的で、学習にたけていて、
理論武装が苦手だった僕はコンプレックスを感じたモノだった

あげればきりがない

一人一人が、それぞれの豊かな感性や人間性を発揮し
また、それぞれの生活や未来を背負って集まっていた

そういう意味では、我が派は豊かな学校だった

前田さんはその中でもやはり抜きんでていた存在だった

やり遂げたこと の向こうにあるモノは
やり遂げたことが大きかっただけに見えにくいが

一番大事だと思う

出来れば、またあの豊かな学校で学んでみたい

minerva | 2009/02/22 1:17 AM
ご無沙汰しておりました。

管理人さんの記事は毎回面白いですね。実際はかなりシュールな状態なんでしょうが…。要塞の上から見た機動隊がゴキブリとは(笑)まあ何度叩いても歯向かって来る姿を形容するに相応しい表現ですね。

余談ですがR大とは●●館か●谷のどちらかになりますかね?
愛知の一学生 | 2009/02/22 9:01 PM
007 さんへ。
たぶん、鉄筋がたっぷり入った厚さ40〜50cmのコンクリート壁の立方体、4階建て。その上に約20mの鉄塔が聳えるという形でした。
できれば、もっと詳しい人が解説してくれるといいのですが。

minervaさんへ
いらっしゃいませ。
前田をほめちゃいけません。また、その気になって、俺たちを管制塔へ誘います。
なんども夢にみたんだから。なぜか、無事、帰ってきてるのに、前田のアホが「うふふ、また行くぞ〜!」と言うんだよね。

愛知の一学生 さんへ
はい、わたしが高いところから見たのは、管制塔の上からでした。ほんとにゾロゾロ、ゴソゴソって感じ。
いえいえ、機動隊員をかろんじているのではありません。むしろ「大変だよな、お互いに」でありました。
R大はわたしには分かりません。
そんな、かっこいい奴いたんでしょうか(笑)
remol | 2009/02/26 6:17 PM
R大は飯田橋です。まっ、主観的な感想ですが、
かっこいいと言うより、どちらかというと土着的な捉え方をしていたのですが

前田さんのこともそうですが
要塞戦や勿論3.26他のドキュメントを読んでいると
いかにも「超人」の集団のようにも見えるけど
みんな悩んだり苦しんだり、楽しんだり、楽しんだり
いっぱいあって、「その日」を迎えるわけで

そのことをいい添えたかったわけです

僕の地区の指導者で、私鉄労働者だった同志も
隠し事のない人で、僕の手本だった
確か、4.17の現地大動員の時だったと思う
我が地区もがんばって根こそぎ動員をかけ
バスで現地入りした
現地が近づくと、その同志がそわそわしだした
「どうしたのか」と聞くと
彼の手には「包囲 突入 占拠」と染め抜かれた
青年共闘のゼッケンがあった
新山同志の写真に同じゼッケンをしたモノがあった、あれだ

全員に配るつもりだが、そこまで意志一致が出来ているか、マヌーバーと思われないか
彼は悩んで、落ち着かなくなっていたんだ

そろいの赤ヤッケに
バイクヘルには未だ間がある

本当に指導部として申し分なくいい奴だった

そして、僕らはそんなところから始めたんだ

自分にとっても、まだ包囲して突入して占拠して「破壊」することは現実味を帯びてはいなかった

ゼッケンに染め抜かれたスローガンを
じっと見つめたのを覚えている

そんな僕にとって、やはり前田さんはあこがれだった
minerva | 2009/02/27 1:25 AM
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