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成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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要塞に鉄塔が建った!

1978年のあの日の「今夜」も、こんな月が出ていたのだったでしょうか。
この夜、酷寒、確か零下7度といっていたと思います。

横堀の要塞は、分厚いコンクリートの壁面の内に人を込め、上部に鉄塔を立ち上げきったのでした。やってきた機動隊をぎりぎりのタイミングで払い落とし、要塞篭城組が雄たけびを上げて、闘いは開始されました。

私が駆けつけたのは、もう、夜だった気がしますが、記憶が判然としません。
しかし、なんという闘いだったろうか。
3・26より、ある意味、人間の素がそのまま表現されていく、おそろしくも感動的な闘争でした。

今日は、ひとりの女性の回想を引用させてもらって(ホームページ「red mole party」に採録されているもの。まっぺんさん、事後承諾ですが許されよ)横堀2月要塞の記述を始めることにいたします。記憶と資料をたどりつつ、数回書いてみます。

「私は好奇心から、Aさんが全財産を投げ出してまでカンパする三里塚の要塞建設についていきました。午前中はトラックに乗って野菜集め、午後はモッコをかついで土を運びました。その時でも、都会育ちの私には「美しい所だな」と思いながら、なお違和感が残りました。
 しかし、2月6日、私はテレビを見て、すごく頭にきました。何と表現すればいいのかわかりませんでしたが、「私のつくった要塞がこわされる」という感じが涙とともにこみあげてきました。
 午後、私はAさんを探しました。Aさんは休みを取っていて、課長が「また三里塚にいってんじゃない」と笑いながら知らせてくれました。
 仕事がおわるといてもたってもいられなくて、三里塚の横堀まで行って、みんなについて暗い山の中を歩きました。……
 気がつくと、他の人はズボンやジーパン、私だけスカートです。みんなが心配してくれました。私はたき火のもとで、鉄塔に声をかけ手を振り一晩を過ごし、翌日は会社を休みました。最後にはみんなと腕を組んで泣きながらインターを歌いました。
 3月には、私は闘うひとりとして三里塚に行きたい。私はこの目で見てきたことを職場の人に話しています。私の新しい人生が始まった気がします。ともに闘う仲間として迎えて下さい」(「管制塔に赤旗が翻った日」柘植書房より)

remol



1978.2.6二月要塞戦 | comments(2) | trackbacks(0)

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この記事に対するコメント

横掘要塞は地下一階地上二階建て(?)だったと記憶していますが、上に鉄塔まで立てていたのですか。当時の写真が手軽に手に入らないので要塞の全容は上手くイメージ出来ませんが、とんでもない代物を戦場の最前線におっ建ててしまった訳ですね。
愛知の一学生 | 2009/02/06 11:51 PM
少しずつ書いていきます。
若い人にも、楽しんでもらえたらなと、思っております。
ほんと、いい写真があれば、いいのですが、私のところにも、鮮明なのがないのです。

鉄塔のてっぺんで放水を浴びながら、斜めにかしいでいる仲間の写真を、いつかあなたにも見せてあげたいですね。
remol | 2009/02/10 6:30 PM
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