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成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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新年会的同窓会

 昨日、新宿の某店で管制塔組のメンバー数人が集まりました。まぁ、年に一、二度の定例飲み会というところでしょうか。
 今回は東京にいる連中だけでしたので、ちょっと私としてはさびしい。

 その代わりに、弁護士の虎頭さん、救対をやってくれていたMさん、現闘にいたZさん、そして『1978・3・26 NARITA』を編集してくれたOさんが来てくれました。
 とりとめもなく雑談しつつ飯を食うという、親父文化そのままの集まりなのですが、仲間の近況を聞いては、それぞれの心のおき方をまた感じてみる、といったところでしょうか。

 出てきた話は、東大闘争(和多田、立て篭もりでパクられ実刑)、71年三里塚7月仮処分(前田、立て篭もりで実刑)、年末年始の派遣村、子供の受験・進路etcなんてところ。でも、やっぱり話している内容は、昔話になれば、はなはだ穏当を欠いているのでありますよ。

 管制塔占拠は東大闘争のクライマックスから10年後のことでした。先日、NHKで放映されたドキュメントでは、管制塔占拠後に東大闘争10年で当事者たちをインタビューした映像に、40年目の今を加えて編集したものでした。管制塔のメンバーもほとんどがこの番組を興味深く、見ていたようです。

 東大全共闘のなのみならぬスターにして、その後は政治的発言や行動からまったく離れていた人が、管制塔占拠に「ぽんと10万円をカンパしてきたんだよ」なんて、話が出てくるのでありました。
 あるいは行動隊長だった今井澄さんは、服役後に長野県のお医者さん、参議院議員になったのでしたが、管制塔占拠に「あんなふうに闘わなければ、と揺さぶられる」と言う姿を映像に残している。

 自分のことより仲間のこと、自己の党派より全体の運動のため、それを実践したりっぱな人たちは確かに存在しました。そういう人たちは管制塔占拠闘争をともに喜んでくれたのでした。

 一方で、自己党派の利害ばかりで動きつづけるどうにもならぬ新左翼も存在してきて、そんな下品さがずいぶんと運動を阻害してきたという思いも重なる。おおむね、こういう人たちは情勢や状況と無関係に方針を立てます。そして、闘ったというイメージづくりだけは一生懸命にやるのです。
 だから、闘いの主張をする声がむやみにでかい。でも、それって、サギっていうのじゃないの? と私は思うのでありました。

 71年の7月仮処分のときに某派は火炎瓶を使うのに反対だったのだそうです。火炎瓶法が成立したばかりで、弾圧の広がりを心配したということのようでした。
「あれ? 3月の第一次代執行のときに火炎瓶は使ってないの?」
 前田はその問いにこう答えました。
「使ってません。俺は農民放送塔に入る直前に柘植さんに『今度は使うからよ』と言われて、当然でしょって感じだった。で、ボンボコ放ってつかまったんだけど、彼らは投げてないんだよ。でも、やってないのに罪名はついちゃうだよね。ははは」

 共謀共同正犯というやつですね。けしからん法律なのではありますが、もう、しょうがないやね。まして、自分たちが闘ったと、やったこと以上に見せなければならないとなると、法廷の方針もずいぶん制限されてしまう。
「ガハハハハ、やったもん勝ちなんだよなぁ」

そうそう、同窓会は「管制塔占拠の映画をつくるぞ! シナリオをお前が書け」なんて、大騒ぎとともにお開きになったのでした。懲りない奴ら、しゃあない連中だ。

remol

 


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