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成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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要塞づくり(2)

遅ればせながら、謹賀新年。
 気がつけば、「唐土の鳥も渡らぬ先に、七草なずな〜」も過ぎ去っております。実は、年末からもろもろぜ〜んぶ打ち捨てて、ずっとあることに没頭していたのであります。
 ただ、それでも日比谷の派遣村のことだけは、気になって、ニュースを息をつめて見つめておりました。

 あれは「横堀要塞」の第一段階です。現在の情勢の中で、もっともいい方針でやりきったといえます。
 まず場所。やるならあそこしかない。厚生労働省前にテントを建てて対峙のイメージを具体的に現出させたのが見事でした。危機的な状況の中で、厚労省は、講堂を開けざるを得なかった。
 このブログでも
「儲けさしてやってきたぶんは、堂々と、実力で取り返してもバチはあたりません。帰るところもない労働者に「いねとのたぶ」企業に対しては、有無を言わせずそこに居座ることから始めることです。厚労省を始めにする霞ヶ関官庁で「団交」を行い、補償の道を開かせ、保障を要求して座り込みをやるべし。
 なぁ〜に、不退去で逮捕されたって、3泊4日の食い扶持と寝る場所を確保したと考えれば、ありがたいもんじゃないですか。」と前に書いていますが、その第一歩です。

「対峙」を現出させて、そこに支持を集める。私たちが要塞建設と要塞戦でやろうとしたことです。
 しかも、今回の派遣村は、生活保護受給や就職相談を行い、そこへやってきた人たちの命の保障と、生活の建て直しの方策に取り組んだ。バラバラで志気阻喪させられてきた人たちに結集の場をつくり、人間としての誇りと前進する意欲をもたらした。インタビューで「励まされた、生きる意欲が湧いてきた」と応える姿をみていると、グッとくるものがありました。労働者が成長していくとは、こういうことを言う、というのが実感させられたのでした。
 
 総務政務官が「(集まった人が、厚生労働省の)講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこい(と言っていた)。何かしら、学生紛争の時の『学内を開放しろ』『学長出てこい』という戦術、戦略が垣間見えるような気がした」と言うのは、ある意味当然。
 本音を言う場所を間違えただけで、ことの本質・行く末を見誤ってはいない。本音をいっていい場所と、状況を読めないタイミングの悪さにおいて、こいつはおバカなのでありましょう。
 この手のろくでなし思考を跳ね返して、意識的に進む労働者をどれだけ準備できるのか。今後はこれで決まる。
 巨大な規模の「要塞戦」が、いま始まろうとしている。

 remol

1978.2.6二月要塞戦 | comments(7) | trackbacks(0)

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この記事に対するコメント

新年1発目、更新うれしく思います。
remolさんの臨場感あふれる奥深い文章、
毎回楽しみにしてます。
ぼちぼち、わからないことや感想を、
これからコメントさせていただこうと
思っています。
それでは!
安田講堂陥落の日に生まれ落ちて | 2009/01/13 2:57 PM
おおお、若い衆!
(って、まるでどっかの農業組織ですね。40でも青年!)
おじさんはうれしいぞ。

このブログは読者と一緒に作っていけたらいいな、と思っております。
いつでも、遊びに来てください。
remol | 2009/01/14 12:19 AM
更新を心待ちにしておりました。
僕は愛知の一学生にしてML主義者です。
派遣村の労働者ついて、色々な掲示板で詰斥の声を聞きます。僕の高校は他校に比べて政治に関する関心があり、日々意見を交わしているのですが、数の面で圧倒的な差を以て批判側に負けています。僕の学校の生徒の保護者の多くは大企業や銀行、証券会社、県庁等に勤めていて、所謂エリート組です。彼等からしてみれば、労働者達の要求は胸糞悪くて仕様が無いと思います。電気やガスを止められ、給食費を払えなくて教師に見世物と言わんばかりに吊し上げられた経験をした事などないでしょう。
しかし、只貧しいからといって僕は昨今の世間の流れに迎合することはありません。派遣労働者達は我が儘を言い過ぎているように感じられます。資本主義経済において、要らなくなった臨時の人材を切り捨てるのはしごく当然の事です。足軽や傭兵が平時には暇なのと同じことです。
又、派遣労働者寄りの報道をするマスメディアもそうです。日頃型にはまった報道をして唯々諾々と政府に盲従する獣を大量生産しておきながら、ここぞとばかりに政府を叩き、世間を煽る。民衆を警醒し注意を喚起する、これが諸君の使命ではないのか。僕は彼等にこう言いたいです。
派遣村を批判する訳ではありませんが、彼等のやり方には些か賛同しかねます。たとえこのまま村が要塞化して世間に波紋を巻き起こしても、学生運動のような同情は無いと思います。
大義無き戦に勝利はありません。
彼等には反抗することではなくて、まずわ人間としてやるべき事をはたして欲しいです。
愛知の一学生 | 2009/01/14 11:26 PM
愛知の一学生 さんへ

ML主義者にしてはちと主張が腑に落ちぬと、困惑していたのですが、何でも「ML主義」というのは、我らの時代の「マルクス・レーニン主義」の意と違うのだそうですね。おじさんもひとつまた学びました(笑)。


私が卒業した高校は、あなたのところほど「所謂エリート組」がそろっている学校ではなかったと思いますが、地方の企業城下町にあった、旧制中学からの流れの高校でした。周りもそのように見るし、あほらしいエスタブリッシュメントぶりっこごっこ意識はあったように思います。たぶん、だから、あなたのいう雰囲気は少し分かります。

でもね、それってそんな大層なものなのでしょうか。いま首を切られて路頭に迷う人々と、「エリート層」たらゆう人達とは、実はそんなに違ってはいないのではないか。
少し、枠を広げてみてみましょうか。

いま、起こっている金融危機の引き金は、金融ディーラーたちによる博打(やりくちはほとんどサギ師)にあります。賭けチップは自分たちは損をしないように手を打った金融商品でした。むろん、それはババ引きゲームになりました。彼らは自分らの利益は確保した上で、ババ請けから来る大損は、企業、国家に引き受けさせているのです。
(ここら辺は説明するとえらい長くなるので、自分で勉強してね)

思えば大変なことでね。いろんないわれ方をしましたが、例えば帝国主義とか国家独占資本主義とか、言われた金融資本支配による旧来の儲け追求の方法を、すっかり放り出してしまったのです。
資本、国家、国民が歩調をとっていく資本主義のお約束を、この20年くらいでずたずたボロボロにしてしまった。実に私的な、ただひたすらゼニを、あからさまに追求したはてに、資本家が安定的に儲けられるはずだった(資本主義)社会を破壊した、ということです。
えらいこってすわ。慌てて経済の専門家たちが「産業資本主義に戻れ」の「強欲資本主義をやめべぇ」と言い始めているのは、このことを言っているのだと思います。

日本円にして1京円、ドルで100兆円。十数年の間に世界で増えた金融資本は、また暴れるでしょう。
短期にゼニ儲け(キャピタル・ゲイン)しようとするやり方で、それが投下されてくるのですから、いまや「大企業や銀行、証券会社、県庁等に勤めていて、所謂エリート組」も、自分たちが依って立つ基盤があっという間に崩れ落ち「要らなくなった臨時の人材を切り捨てるのはしごく当然の事」は起こりえることになります。

短期キャピタル・ゲイン派にとって、正社員もエリート層も構造的には「臨時の人材」。事態の進展でまるで関係なくなるでしょう。なんとか競争して、生き残る道はもちろんありますが、さて、そこに立てる人間がどれくらい残るものやら……。


イチに苦しい二に苦しいが本当に深刻化して、にっちもさっちも行かなくなる社会的な危機に至るのは、3〜4年後のことでした。高校生あなたの行く末もなかなか大変ですが、すべてはこれから、です。

昨今の世間の流れは、首切りされた派遣労働者に同情的だとは、私は思いません。
いま彼らの要求、実にささやかにして根底的な要求は、どんなに否定したくても、「理」として否定できないものです。このことが、(「理」を受け入れざるを得ない)マスコミや政府の動きを規定している、と考える方が自然ではないでしょうか。(あなたも例えば憲法の条文をちょっと読んでみてはいかがでしょう)。

私は、かの労働者たちが、苦しみながらこの「理」をまっとうすることが「大義」を打ち立てることであると思います。
例えば憲法の規定「生存権」は、彼らとその支援者の努力なくして、これからますます守られなくなるでしょうし、その過程を通じることによってしか、私が望む憲法の枠を越える世界は開けてこない、私は思います。
本当に「大義」が打ち立てられるか、これからの進展にかかっている。
remol | 2009/01/16 4:12 PM
はい。以後こちらにコメントさせていただきます。
愛知の一学生 | 2009/01/25 1:12 PM
模試が終わったのでやって参りました。

貴方のブログは事件の経緯を詳しく説明して下さり、Wikipediaでは掴み切れなかった深部が良く分かります。やっぱり体験者の方の話は違いますね。
三里塚の住民の多くは満蒙開拓団の復員であることは知っていましたが、既存の住民の参加については知りませんでした。これだとまさに『生活防衛闘争』ですね。既存住民の郷土愛と復員住民の意地をかけた闘いなので、セクト色の入らない純粋なものになるのがベストだったんでしょうかね?
愛知の一学生 | 2009/02/03 11:12 PM
書きこみ、ありがとう。

御料牧場と周囲の開墾・開拓の人々の話は、フィールドワークをしてみる価値のあるテーマですね。いろんなものが見えてくるはずです。

また、北総一帯は、明治から、開墾・開拓で作られた村村がとても多いのです。村の名の読みに数字が、読み込まれた地名も多いでしょう?
例えば「八街市」をWikipediaでひいてみて下さい。
国策というのはどういうものか、それと人々の関係はどうなっていたのか。考えてみることは意味があります。

>既存住民の郷土愛と復員住民の意地をかけた闘いなので、セクト色の入らない純粋なものになるのがベストだったんでしょうかね?

これについては、おいおい書いていきます。とても大事なことなので。

それと、ごめんなさい。
私の書きようが悪かったのですが、あなたのコメントをすべてここに書け、といったわけではなくて、それぞれのブログの「テーマ」にふさわしいところに書いてください、というつもりでした。
今回の書きこみは、「『横堀』という地」にコメントして下さるのが、いいかと存じます。
たびたびの要請、許されよ。


remol | 2009/02/04 4:25 PM
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