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成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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★3・26菱田小跡地の「異様な雰囲気、異様な熱気」

 開港阻止の闘いは、前回のブログで少し触れたとおり、76年の秋くらいから反対派の方からも準備されていったものです。もちろん、すべてがシナリオ通りにうまくいったわけではありません。
 生きた闘いの現場はさまざまに矛盾を含み、一つ一つの攻防の成功や失敗で、その後の展開が変わっていくものでした。このブログでもおいおい、その過程を追ってみるつもりです。

 今回は、3・26当日の「空気」に触れてみます。それは菱田小学校跡地に結集した部隊の人たちに表現されたもので、開港阻止に向かう「空気」がいかにして醸し出されたかを知ってもらいたいからです。(管制塔占拠部隊はすでに前夜のうちにマンホールに潜り、空港敷地内に入っておりました)。

 菱田小学校に集まった人々による集会は「分裂集会」と非難を浴びかねないものでした。反対同盟主催の集会は、成田市三里塚の交差点近くにある三里塚第一公園で開催されていたからです。
 誰が身をかけて闘かおうとしているのか、そのためにどちらの集会へ行くのかというのは、実はそれほど難しい問いではありませんでした。ほぼ一年半ばかりの現地での攻防で、かなり明瞭になっていました。
 もちろん第一公園へ結集した人々を非難しているのではありません。党派部隊がどの程度、有能だったか準備されていたかという問題はあるにしろ、そちらの集会へ行った人々も、当日、反対同盟の呼びかけに応えて、闘いに参加したことに間違いはないのですから。

 当日、実力で開港を阻止しようとした人々が醸し出した「空気」について書く前に、その前日の25日の「空気」も少し引用しておきます。両方を知らないと見えなくなるものがありそうです。

*決戦前夜*(『管制塔 ただいま、占拠中』柘植書房刊)
 三里塚はうららかな春の日差しに包まれていた。二五日の昼ごろまでには、のちの管制塔占拠メンバー全員が現地入りしていた。
 インター三里塚現闘団のある朝倉団結小屋前は、とにかくのんびりした雰囲気に包まれていた。次々に到着する仲間は、てんでに草の上に寝転び、談笑している。全国結集の時だけ顔を合わせる者同士、「よお、来たな」という感じで声をかけあっている。(略)
 
 朝倉はそろそろ全国から五〇〇人がそろっていただろうか。緊張感がないから、何だか運動会かピクニックのようだ。今さら緊張してもはじまらない。
 児島純二は兄貴と並んで草の上に腹ばいになっていた。児島S、純二、そして平田は同じ宮崎県の高校の出身である。Sはいつもの眠そうな目をして、レモンをかじっている。
 翌日、児島と平田は連れ立って管制塔に登り、兄のSは第9ゲートからトラックで命がけの突入を果たすことになる。

 時おり、マイクの声がして歓声があがるが、すぐにまたのんびりムードに戻る。横堀要塞では再び鉄塔が建ち上がり、一足早く戦端が切られようとしているというのだ(『管制塔 ただいま、占拠中』より)

 実際、やる気のある連中は、実は、おおらかにしてほがらかなものです。「俺達だけが闘うんだぁ」と過度に力瘤を入れたがる連中は、たいがいは見かけ倒し、こけおどしです。キャンキャン騒ぐことで闘う気分を表現しようとする人々は、おおむね自分の恐怖を押し隠しているにすぎません。

 で、これが翌日の菱田小跡地ではどうなるか。
 常駐者=現闘員と管制塔部隊隊長・前田の対談から引用してみます。

*踊るラッセル車*(『1978・3・26 NARITA』)
 早野●2001年に「9・11テロ」があって、その秋にアフガン戦争、2003年3月20日にイラク戦争へといたる流れのなかで、日本でも久しぶりに反戦運動が盛りあがったとき、一度だけ5万人の集会が東京でおこなわれたんだよね。芝公園でやった「ワールド・ピース・ナウ」の集会。
 あのとき、どこにも属さない「なにかしたい!」っていう人たちが膨大に来ていたんだよね。デモのどこの隊列につくわけでもない。デモがはじまると、機動隊が制圧してるわけでもないから、みんな勝手にいろんな隊列のうしろにくっついて、手をつないで、ジョン・レノンを歌ったりして。
 これって、3・26前後の雰囲気に似ていると思ったんだ。もちろん、もっと戦闘的なかたちではあったけれども。どこに所属するとかは、成田みたいな場合、来たら見物は無理なのよね。機動隊か、こっちかしかないので、組織を頼って出てきた人も、そうでない人も、「連帯する会」なんかその典型だけど、とにかく膨大な人が来るわけよ。異様な雰囲気、異様な熱気。
 その空間をとりまく雰囲気ということでいえば、エピソードがひとつあるよ。俺は当日、井の一番に、ラッセル車を先導して、菱田小学校の集会場まで連れて行ったわけだよ。先導者は、俺、たった一人。ある時点で、国道に出るわけだよ。そうすると、遠くのほうで、車が全部キーッて止まっちゃう。みんな車から降りて、遠くから俺らのこと、「なんだろ?」ってながめてんだよね。

 前田●うーん、それはおもしれーなぁ。どのくらいの距離だよ、菱田まで。
 早野●2キロ半か、3キロもなかったかな。で、みんな「なんだろー」って思うわけだよ。日曜日の朝っぱらからだよ。ふつう、闘争に関係ない人にとっては、優雅な日曜日なんだよ、天気がよくて。そろそろタケノコかぁ〜なんていうシーズンでさ、家族団欒、車で来ました、と。
 そしたらいきなり、自分が通る道路に装甲車みたいのが出てきました、と。その前に、タオルをかぶってるやつがいる。俺なんか、タオルしても意味ねえんだけどさ。もう、どこの誰って、どうやったってわかる顔と体型してるからさ。で、だぁれも近寄らない。あれはね、すんごい、こっちのほうが気持ち悪いぞ。それで、やっとこさ、菱田小学校につきました、と。そしたら、だれも驚かない。
 前田●集まってるみんなが、ね。
 早野●わかる? あれね、三里塚公園に登場したら、みんな「なにが来たんだ?」って驚いたと思う。ところが、菱田に登場した瞬間、ワァーッ、なんだよ。大歓声があがるんだよ。
 前田●あぁ、わかる。「やるんだ」という気分ね。

 早野●全体がそういう気分をもってる。それは、アジテーションで「行くぞ〜!」って盛りあがってるわけじゃない。ラッセル車を見ても、自分の高揚の一部分として、ただ素直に受け入れるわけ。それはね、通常の闘争で、「今日はやるよ」っていうのとは一段階ちがう。
 あそこに主催者発表3000人とか、実際は1500人とするよ。それが全員が逮捕される覚悟。反対同盟の戸村一作さんとか、Hさんとか、Mさんとか、ほかの人たちも、そういう意味では捕まることになんの躊躇もない人だったから。「もう今日は全員が捕まるぞ」っていう気分を持っている何千人の集団っていうのは、それはものすごく異様で、そして巨大な力を感じるものがあるんだよ。そういうものは、それまでの1年間をかけてつくられてきたわけだけどね。
 前田●僕が異様だと思ったのは、管制塔に登って下を見てたら、手ふりながらガァーッと突っこんでくるわけよ、8ゲート突入部隊が。管制塔占拠したんだからさぁ〜、もう終わったわけじゃない。「もういいよ、帰れ!」って……。
 早野●思うよなぁ。俺も、そう思う。つまり、それは相乗効果もあるわけよ。前田たちが管制塔のてっぺんまで登って、今ごろはたぶん、機動隊にボコボコにされて、もう全身、複雑骨折で……、「アイツらが行ったんだから、俺らもつづかねば」となったんだと思うよ。(『1978・3・26 NARITA』より転載)

 (注・「ラッセル車」とは、トラックの前に大きな鉄板を楔形につけた改造車。8ゲートから突入した部隊の先導車として、警備陣が用意したバリケード・車止めを突破していった)

remol
1978.3.26空港突入 | comments(1) | trackbacks(0)