★俺たち、タワー・アタッカー!!★

成田空港・管制塔占拠をめぐる物語
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スーちゃんへの極左的弔辞

お茶を濁すつもりではないのですが、このページをのぞきに来た人の目に触れることはあるまいと存じ、某SNSに書いたものをまるごと写します。
ごめん、ちょっと忙しくしていて、でも、こいつを言っておきたくてね。
手を抜こうなんて、……いや、ちょっと、あるか(笑)。
とにかく、わが同級生世代の最良のエッセンスを見ておきましょう。
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 田中好子さま

本当にお疲れ様でした。もううつつの苦しい頑張りも、しなくてすみます。
youtubeで、あなたの最後の肉声を聞きながら、ただ涙をこぼしておりました。

あの「震災で亡くなった方のために天国で働く」という声に揺り動かされたのか、まことに主観的な同級生たちが、何人もわたくしにメールを寄こしました。

わたしたちが、あなたがたキャンディーズの3人を意識したのは、たぶん、「普通の女の子に戻りたい」という言葉が発せられた頃からだったと思います。76年のことだったでしょうか。
あの発言はきっと当時の芸能界ではタブーだったのに違いありません。
当たり前のことをやろうとしたその勇気に、ほとんど同じ年の、おばかな左翼少年たちは、けっこう支持者がおりました。
むろん、正しくミーハーをやっていた連中もその中にいて、つまりは、あの時代を生きたあなたは、わたしたちの同級生だったのです。

78年4月初めのキャンディーズ解散コンサートの直前、成田では、管制塔を乗っ取ってぶっ壊しちまおうぜ、という出来事がありました。
3.26と呼ばれた闘争でしたが、この三里塚闘争をキャンディーズ解散コンサートとくっつけて、一連の「決起」としてチケットをつくってばら撒こう、なんて冗談を、おばかどもが飛ばしておりました。

おかげさまで、その喧嘩にはきれいに勝ったのですが、たしか200人近くの「同級生」が拘置所暮らしとあいなりました。
つまり突然の別れを経験した連中も多くでました。

おばかたちが書いた『管制塔、ただいま占拠中』というお笑い本は、その最初に、最後のあなた方の曲「微笑がえし」が掲げてあります。
♪机、本箱、運び出された荷物の後は畳の色がそこだけ、若いわ 
3.26は、当時のあなた方と同じように寝る間も惜しんで目指したスカッとした「春一番」であり、そして、寂しさや空虚感も伴う「微笑かえし」でもありました。

やがて、小菅の東京拘置所から霞ヶ関の裁判所までの道、手錠腰縄のバスで千住の橋を渡る折節、「あれがスーちゃんのお家」なんて、話が交わされていました。いま地図で確かめてみると、確かに、あなたのお家の「田中釣具店」らしい気がいたします。

またまたやがて、最後の連中がお勤めを果たして娑婆に出てくる頃、あなたは女優になり、今村昌平の「黒い雨」に主演しておられたような気がします。
少し大人になる道を、当たり前ですが、同じ時間で辿り、美しい女性になっておられました。

あなたが心を痛めていたという、この惨状の最中、私が「40代の子がぜんぜんだめだなぁ」と漏らしたら、まさにその40代の子が「考えてはいるのだと思うんです。でも、手のつなぎ方が分からないんです」と言うのです。

時代、世代で全てを語るのはおよそ馬鹿げています。けれど、時代が作る人間性もあるのだろうな、と思います。
こと改めて言わなくても、連帯感といわなくても、「一緒にやろう。苦労をともにしよう」の感覚は確かにあるようなのです。
あなたのあの最後のテープ、蘭ちゃん、ミキちゃんの「一緒に年をとっていきたかった」という言葉を聴くと、なおさらそのような印象を覚えます。
俺たちは、あの時代の同級生でよかったです。

この大地震と津波の被害を受けた人々を思いながら旅立って行った、しなやかで強靭な心性は、わたしたちのあの時代の最良のエッセンスです。
わたしは、あなたがたとえば信仰を持っていたかどうかしりません。
まして、あなたが左翼だったとは思いもよりません。
活動家であるか否か、生きている世界が同じか否か、はほとんど無関係のことがらのように思えます。
バランスのよいリベラルな意見を吐く「いい人」たちより、ずっと、あなた(たち)と、私たちは近い人間のように思っております。

残されたものとして、出来る限りのことをやるつもりです。
あなたに死に方も教わった気がしております。
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やれることを協力して

東北のみなさんのために、いったい何が出来るのか。
あれこれ思う間に、わがお遊び仲間は既に、友人家族の支援に向かっておりました。
わたしも、彼に便乗して、とにかく現地を見に行きました。

どうにも情けない物資しか運び込めなかったのですが、とにかく、酷い状況だけは目に焼きつけ、そして、これからの長いたたかいを覚悟してきました。

もはや私は党派の人間ではなく、しかし、それでも昔の仲間はやはり頼りになり、またそれと同様に、わがお遊び仲間や、仕事仲間は、本当にいい奴らで頼りがいがある奴らであることが、あらためて思い知らされました。

と、いうわけで、少しずつしか出来ませんが、以下に紹介する『ウシトラ旅団』の人々と一緒にやっていくつもりです。

来週月曜日夕刻に、都内某所で行われる、仙台といわき市の様子の報告会に参加することにいたしました。
この会議が、どうやら『東日本大震災義援! ウシトラ旅団』の結団式にもなるようです。
ウシトラ旅団の一隊として、私らの野遊びグループは参加しますが、別段、ウシトラ旅団に参加しなくても、心を同じくするもの同士、協力し合っていければと思います。

人も金も物資も効率よく、しかも、被災地現地の再生の軸を担うべき団体や個人をサポートしていきたい、いっしょに彼らと悩むところからやっていこう、というのがウシトラ旅団の考えです。

いずれまた、ウシトラ旅団への「応召」の仕方など、みなさんのもとへ、お知らせしたいと思いますが、どうしてもこの会議に参加したいとお思いの方は、頑張って自力で会場へたどり着くように!(笑)。

ま、あわてることはありません。長い曲がりくねった道を辿る支援活動の始まりです。
どこかでかならず、このブログの読者と私たちは交わるに違いないのですから。

http://ushitora.blogspot.com/


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